相手が理解しなければ無意味

言葉は自分の意思を自分以外の人に伝えるために用いるのだが、自分の用いた言葉は、相手と語彙の理解が同一か否かを確認する事無しに用いられる。

それによって、誤解が生じたり、伝わらないという事が生じる。

これは何も仕事の場にだけ於いて起きることではなく、親子や血縁者・親近者の間のコミュニケーションでも生じていて、時にモメ事になったり、言葉遣いの難しさを痛感する。

私の場合、仕事に於いて言葉が「商品」だけに、常々、言葉遣いに注意する。しかし、それでも日々、誤解が生じたり、伝わらないという事が生じ悩まされる。

そんな時、「相手は自分ではない」という言葉を思い出す。

すごく当たり前のこの言葉に出会うまでは、「自分の当たり前は相手にとっても当たり前」という認識が強かった。だから相手と摩擦が生じて、結果的に自分自身が苦しく辛くなる時が頻繁にあった。

この言葉によって、より一層、「わかりやすく話す」という事と、「相手の前提を出来るだけ捉えて話す」という事を意識するようになった。

その結果、万事解決!とまでは行かないが、以前に比べて相手が理解・納得していると思われる反応が増えたように感じ、何よりも自分自身が楽になった。

最近、よく感じるのは「つもり」や「独りよがり」と言う言葉は相手や第三者によってしか気付かされない、という事。私は時に、その「相手」であったり「第三者」であるが、自分の事となればナカナカ気付けておらず猛省するばかりである。

私の商品は「言葉」。商品品質を高めるべく、日々、努力する他ない。

 



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