相手の話をじっくり聞けば相手の知力が見えてくる

相手が話す“内容”を理解・把握する事は当然重要であるが、同時に、相手が話している際に用いる“単語”や“言葉の構造”を意識すると相手の「知力」が見えてくる。

相手がどんな肩書きや年齢であっても、常にそれらに伴った知力があるとは限らない。

例えば、「相殺」、これは「そうさつ」ではなく「そうさい」。「そうさつ」と読むときは「互いに殺し合う事」である。「直火」、これは「ちょくび」ではなく「じかび」。「重複」、これは「じゅうふく」ではなく「ちょうふく」、等々。

間違い易い言葉を平然と間違えたまま使っている役職者や年長者になっていないだろうか?

 

人の上に立つリーダーやマネージャーとして、用いる言葉の「質」を意識しているだろうか?

要は、どれ程の「語彙力」が自分にあるか?

「語彙力」が乏しいと、回りくどかったり稚拙な話し方になる。

 

一般的に「語彙力」の高い低いは「本を読んでいるかどうか」に依ると言われている。

所謂、「口語」と「文語」の違いで、本は「文語」で書かれているので、作者の表現したい事を極力端的且つ明確に示す熟語を多用する。なので、「語彙力」が無いと文章を理解できないことになる。

分かりやすく言うと、メールで相手に何かを伝えようとしたとき、書き始めたものの上手く書けず、面倒くさくなり、電話で伝える、という行動は、言い換えると、「文書作成能力(=語彙力)が低いから、電話で済ませる」となる。

メールやSNSが普及し、文書(文字)によるコミュニケーション手段が容易な現代社会に於いて、今尚、主に電話でコミュニケーションを取る人は、この傾向があると思っていい。

 

文章を書くことは語彙力を鍛えるいいトレーニングである。

トレーニングだけに楽ではない。

楽ではないから向き合うには覚悟が必要である。

逆に言えば、トレーニングを避ければ自分の語彙力は高まらない。

「俺は本を読むのが苦手だ!けれど、何でも実践して体験する主義なんだ!」と「読書」というトレーニングをあたかも正当な理由の様に聞こえる言い訳で回避している人は真なるリーダーやマネージャーにはなれない。

 

意識しなければならないのは、“低い語彙力で良く喋るリーダーやマネージャー”になっていないかどうか?

 



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