「味覚」が料理の評価順位1位ではない

「美味しい」を可視化するのは不可能と言える。

「美味しい」を定義するのは不可能と言える。

「美味しい」という「味覚」は飲食店に於いて重要であるが、それが評価順位1位ではない。

 

飲食店の料理や飲物=商品の評価順位は、「視覚」⇒「聴覚」⇒「味覚」である。

 

「視覚」とは「見た目」であり、商品の盛り付けや使用している食器、量や彩もである。

「聴覚」とは「聞こえ」であり、商品のシズル感である、“ジュウジュウ”、“パチパチ”、店員による「商品説明」や「おすすめ」、更には「口コミ」も含む。

 

「視覚」と「聴覚」をおさえたのがTVや雑誌、WEBなどの媒体である。

今やWEB上でも動画の有効性が知られている通り、「視覚」を動画で表現しつつ、「聴覚」に訴えかける手法はとても効果的である。

逆を言うと、いくら店主が「美味しい」と自信を持っていても、「見た目」が何の変哲もないありふれた状態であったり、「聞こえ」が何もなく、店員はおすすめも説明もしなければ、お客様が「味覚」だけで、それを「美味しい」と判断する事はほぼ不可能である。

 

某TV番組の“芸能人格付け”が示す通り、「味覚」とは千差万別である。

「高い」から「美味しい」、「有名店、有名シェフ」だから「美味しい」、「豪華に盛り付けてある」から「美味しい」等々、正に「視覚」と「聴覚」で以て「味覚」以前に商品判断をしている顕著な事例である。

 

「視覚」、「聴覚」、「味覚」いずれも“感覚”である。

よって、一つの正解は無い。

しかし、“時流”はある。

それぞれの時代に、それぞれの年代が評価・支持する“感覚”。

これを如何に捉えるのか?

この点が一つの繁盛に必要な条件である。

 



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