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For Sales Person

「相手を知る」事ナシに関係構築は不可能

同僚であれ、部下であれ、上司であれ、お客様であれ、取引先であれ、誰が相手でも人との関係を良好に保ちたいのであれば、「相手を知る」事が最も重要である。

 

“コミュニケーション能力が高い”という言葉は、「話す、聞く事が上手」であるという“スキル”の高さと、「相手の事を知っている」という“ナレッジ”の高さに大別される。

「口下手」と言うのは“スキル”が低いことを指すので、下手なり、失敗しながらも「話す訓練」をすれば、徐々に上手くなるものである。

しかし、「話すネタが無い」と言うのは“ナレッジ”が不足していることを指すので、相手に関する様々な事を知らない限り、一向に話は弾まない。

 

「相手を知る」為には、先ずは相手を常日頃から「観察」することから始める。

髪型、服装、持ち物、読み物、話題、等々。

外見から見て取れる様々な“情報”を「知る」事で、相手の嗜好や傾向が統計的に見えてくる。

更に、出身地や学生時代の部活動、趣味や稽古ごと、等々、その人の“経歴”を何気ない会話から聞き出す。その際、一方的にイキナリ質問するよりも、自分の事を先に伝える事で、多少なり相手の警戒心を解くことが出来る。

この時、「聞き上手」という“スキル”の高さがあるに越したことは無いが、先述通り、“スキル”なので、繰り返して行くことで上手になるものなので、最初から上手く出来ないと諦めてしまわず、積極的に挑んで欲しい。

言わずとも、「知ろう」とするが為に、「質問攻め」にすると、相手は不快感や警戒心を抱き、それこそ、望む結果と真逆の願わぬ方向に行ってしまうので、急がず時間を掛けて、少しずつ「相手を知る」事が肝要である。

 

「相手を知る」という事は、「共通点」を見出す事と、「言動の傾向」を推察する事である。

前者は、共通点が会話の糸口となり、互いに知りえるそれに関する知識や情報が話題となり話が弾むだろう。お互いがそれを知っている度合いによって、それに関する関心度も知っている者同士ならでは感じ取ることが出来るはずである。

これにより、共通点がキッカケで「話をする」という機会が自然と増え、同時に「親近感を抱く」事になる。

後者は、例えば、学生時代にスポーツをしていたとして、個人競技なのか団体競技なのか、サークル活動としてか体育会としてか、幼少期からか学生になってからか、等々、相手の“経歴”による経験がもたらす、そのスポーツに対する価値観や思考の影響を一般論と照らし合わせながら、相手の言動を注意深く捉え、推察される相手の“思考”や“価値観”に沿って受け答えが出来れば、相手は「自分をわかってくれる」と認識し、心を開いてくれる可能性が高い。

 

要約すると、「相手を知る」という事は、「観察力」と「質問力」が必要である。

先述したが、これらをコツコツ時間を掛けて集めていく必要がある。

だからこそ、セールスパーソンは「訪問回数」、リーダー・マネージャーは「接触回数」、飲食店関係者は「リピート喚起」が重要なのである。

 

心理学で「承認欲求」という言葉がある。

人は誰でも、他人から「認められたい」という心理を持っており、自分を「認めてくれた」人に対して、歩み寄ったり、心を開くという事である。

よって、「相手を知る」という事は、「相手を認める」とも言い換えれる。

仕事上に於いての人間関係は、相手を好きや嫌いで判断する事は求めるべきでない、とにかく「知る」事である。それは好きであろうが嫌いであろうが、先ずは「認める」という事なのである。

年間カレンダー作成のススメ

飲食店現場にはサプライヤーの納品予定を示すカレンダーが存在している。

これを見ながら、市場が休みの時は普段より多めに発注し“段取り”を組む。

 

こうやって、カレンダーを見て先を踏まえて”段取り”を組むことがここまでになっている事が多い。

違う言い方をすれば、多くは人の記憶に依存し、“慣れ”で事を運んでいる事が多い。

よって、軸となる人が忘れていたり、遅れて言いだせば慌ただしく事を対処する事になる。

 

「記憶」ではなく「記録」し、「個々」ではなく「共有」し、「行き当たりばったり」ではなく「計画」するために、出来る限りのことをカレンダーに書き込む事を強くオススメする。

・店のミーティング

・店長や上位者との面談

・棚卸

・グランドメニュー替え

・季節または月毎のおすすめメニュー

・新宴会メニュー

・来店、販売促進活動

・レクリエーション

等々、ありとあらゆる店で生じる事、店がやらねばならない事を書き出す。

料理に携わる人であれば食材の旬はおおよそ把握しているだろう、オープンして1年以上経過している店であれば、曜日や月の傾向は見えてきているだろう、そうであればあるほど、様々な取り組みを“段取り”良く組み立てられるであろう。

 

わかりやすく言うと、何かを実行する日から逆算して、実行する事が円滑に運ぶよう、それに関わる物事の日程を組み立てるのである。

例えば、10月1日から秋を感じていただくグランドメニューを導入するとして、

・新メニューブックの納品日と入稿日

・新メニューの試作会・試食会日

・新メニューに用いる食器の手配

・新メニューお知らせの宣伝告知配信・発送日とその作成期間

等々、上記を考えると遅くても7月初旬から着手しておかなければ余裕なくドタバタで事を進める事になる。これは、7月からの夏メニューを実行していたとすれば、夏メニュー実行した直後に、もう秋のメニューの事を動き始めるという実態である。

こういった事を実行している店なら当然の事としてお分かりの通り、年4回グランドメニューを改定しようと思うなら、息つく暇なく、次から次へと先々の手を打つ予定になる。

 

多くの店舗で陥りがちなのは、感覚的に何かをしなければいけないとわかっていても具体的日程が不明確が為にズルズルと先延ばしになり、いよいよ期限が迫ってから慌ててやり始める状態。

これでは、「やる事」に意識が持って行かれ、肝心の「やる事」の“質”が置き去りになってしまっている。

こんなプロセスだと、やっても大した効果や結果が出ず、「やっても無駄」と言い出し、「やる事」さえ止めてしまう事となる。

止めてしまうから、店が良くなる訳なく、悪循環に陥る。

 

重要な事は、「やる事」ではなく、「やる事」の“内容”=“質”に意識を集中し、“段取り”よく前もって考えるのである。

「やる事」はカレンダーに書き込み、「やる事」を“やろう”と考える必要が無い状態にするのである。

 

 

 

 

店の幹部と店に行けば内情が直ぐわかる

私は仕事柄、クライアントの店舗にクライアント社長や幹部と訪問する事が多い。

行けばクライアントの社内事情が透けて見えてくる。

 

予約も予告もせずにいきなりいくと、「いらっしゃいませぇ」と語尾が弱まりながら、驚きも混じり、こおばった表情で出迎える。そして、「どうしたんですか急に?」、「何かあったのですか?」等々、やたらと詮索する質問をしてくる。更に、一般客が居るにも関わらず、我々の席を離れようとせず、周囲に注意を払う事も怠る。挙句、新入アルバイトのご挨拶大会が開始される。

こういった事象が起きる会社は

・現場と本部に距離や溝がある

・現場は疲弊している

・現場に緊張感や張り合いはなくダラけている

・社長筆頭に幹部が偉そうにしている

・現場は本部の悪口・批判が尽きない

等々、読者の想像通りの体質の組織である。

 

一方、真逆組織の現場に行った際に起きる事象は、一般のお客様と何の隔たり無く同等の対応をする(むしろ、一般客を優先する)。よって、先述事項と真逆の現場と本部の関係である。

 

「事件は現場で起きる」の名句通り、店舗を持つ会社なり組織は現場で起きている事実が全てで、その事象がその会社や組織の内情を如実に表している。

社長や幹部が社外の人にどれ程、何をどう言おうが、「現場の事実が全ての事実」である。

 

仕事を「こなす」と「蓄える」は大違い

24時間365日は誰にとっても平等に与えられている。

しかし、人によって誤差が生じるのは何か?

 

同じ会社や店で殆ど同じ仕事をしている人が2人いるとして、共に意欲旺盛に仕事するも、1人は“こなす人”、1人は“蓄える人”だとしたら、先に雲泥の差が生じる。

言い換えると、風呂桶にお湯をはっている状態として、両者とも仕事意欲旺盛を勢いよく蛇口からお湯が出ているとして、前者は「栓」を閉めないでいる。後者は「栓」を閉めている。

一見すると、両社は同量のお湯が勢いよく注ぎ込まれているが、結果は違う。

 

前者は仕事が終われば気持ちよく、「お疲れ~!」とキレイサッパリその日を終える。

後者は日々の仕事で学んだことや失敗したこと、悔しかったことを書き留め、気づいたことを調べたり、本を買って学んだり。

前者は「記憶」に頼り、「感覚的」。

後者は「記録」に頼り、「論理的」。

 

私が知る限り、飲食店繁盛店はコツコツ地道に小さなことを“積み重ねる”。

「記録」にすることで、働く仲間と良いことも悪い事も「共有」する。

「記録」になっているから、“過去”を振り返り、「具体的」に何が良かったのか悪かったのか、“先”に活かす。

言った言ってない、伝えた伝えてない、なんて事で信頼関係を損ねたり、無駄な時間を取らぬよう、「記録」する。

季節指数や曜日指数を個人毎に「感覚的」に捉えぬよう、データとして管理し、それを踏まえて販促計画を立てる。

1年は12か月なので、何年も営業しているし、季節も毎年同様に変化するので、昨年のいつ、どんなメニューだったか?どんなフェアやイベントをやったか?全部「記録」している。だから、それが上手くいったのか外れたのかをデータで「記録」しているので、今年はこうしよう!と昨年よりも更に良い考えを出そうとする。

 

あなたは「こなし」て来ましたか?「蓄えて」来ましたか?

「蓄えて」来た、と言うならば、あなたの「蓄え」を人に伝えて示してください。

出来るなら、それを文字にして「可視化」してください。

「蓄え」があるなら、人はあなたを頼り、色々と聞いてくるでしょう。

「蓄え」があるなら、あなた自身も色々な事に対応出来たり、新たなチャレンジをしようと思うでしょう。

経営者感覚を持つという事

「経営者感覚を持て!」と言われたり、聞いたことはあるだろうか?

これってどういうことなのか?

物事を鳥瞰・俯瞰・大局観で見る事?

採算を見積もって考える事?

無理・無駄が無いか考える事?

どれも間違いではないが正解でもない。

 

「経営者感覚を持つ」という事は、「一夜にして全財産が没収され、地位も名誉も無くなる事を想像する事」。

要は、多くの中小企業の場合、代表者は会社の借入を個人保証しているので、その金銭的リスクを負うという事。

 

例えるなら、ギャンブルで同額の自分のお金で掛けるのと、他人のお金で掛けるのでは、心理的に同一だろうか、異なるだろうか?

前者が経営者感覚、後者が従業員感覚。

 

自分のお金で掛けるに際し、他人のお金で掛ける時の違いは何だろうか?

それに掛ける事が最も当たる確率が高いのだろうか?と調べたり熟考するのではないだろうか?

全部無くなってしまった時の事を考え、納得いく後悔をしようと真剣に考え、可能な限り全力を尽くすのではないだろうか?

他人に勧められるがままに掛けるのではなく、自分自身の判断で掛けようとするのではないだろうか?

 

あなたの役職名が「取締役」となっているにも関わらず、先述の思考無く、日常的に従事しているなら、あなたは「名ばかり役員」であって、実態は単なる一従業員である。

「経営者の立場にならないとわからない」と言っているあなたは想像力が乏しい。

 

「経営者感覚を持つ」という事は、日々、地道に努力を積み重ね、先に願わぬ結果が起きようとも、それを悔やむことの無い、自分自身が納得できる日々を全力で過ごすという事。

 

 

 

誰もが変わる訳じゃない

組織に於いても個人に於いても、停滞・停止は回避すべき事。

これを知っているリーダーは自ら学び自ら変化・進化を実行する。そして自分の組織やチームに対しても何がしかの変化・進化をもたらそうと実行する。リーダーとしては当然の事である。

しかし、結論から言うと、部下・メンバーの誰もが変わる訳ではないという事実を認識した上で取り組まなければ、必要以上に時間や手間取り、更に上手く事が運ばぬ状態にリーダー自身が自信を失い、迷いはじめ、ついて行こうとしている人たちにも悪影響が及ぶ。

 

「変わる」という事は「考えが変わる」と「行動が変わる」、そして「結果が変わる」3つの「変わる」段階があるが、長く組織やチームに属している人の中にスタートとなる「考えを変えようとしない」という人がしばしば存在する。

この様な人たちは目に見えて抵抗や否定・批判をするので、存在していることで周囲に悪影響を及ぼすと容易に理解できるので、陥りがちなのは、この人たちを何とか「変えよう」と時間・労力を払う。

しかし、この行為は全くの無駄である。平たく言うと、“放っておけばいい”のである。「変わろう」としている人に注力し前進あるのみ。

但し、誤解してはいけないのが、「変えようとしない」人たちに、「変わろうとしない」からと言って、「変わろうとする」人たちに伝えている事を「変えようとしない」人たちに伝えないという不公平な言動をリーダーは取ってはいけない。

 

「変わらない」と「変わろうとしない」は全く違う。

前者は取り組んでるにも関わらず以前の状態。後者は取り組むこと自体をしていない。

リーダーが注意しておかねばならないのは、本タイトル通り、「誰もが変わる訳じゃない」という事。

正確に言うと、「誰もが変われる訳じゃなく、誰もが同一速度で変われる訳でもない」という事。

 

人には人それぞれの能力がある。

先述通り、「変わる」にも時間差は当然生じる。それ以上に、時間と関係なく「変わる」3段階の中でも最も難しい、「行動が変わる」を実現出来る人は、ごく少数であるという事。

違う言い方和すると、どれだけ「考え方が変わり」、「発する言葉も変わり」、「変わろう」と一所懸命取り組んでいても「行動が変わる」事が出来ない人が多いという事。

「変化する」を「変化できるという能力」と捉えるべきなのである。

もう一度言うと、「人にはひとそれぞれの能力があり、変化できるという能力を持っている人と、もっていない人が存在する」。

 

リーダーは「変化できる能力がある人」を見極め、「変化」に導くことが肝要である。

 

あなたの話しなんて聞きたくない、あなたは話を聞いてあげればいい

ダメリーダーやダメセールスパーソンは一所懸命自分が話をしようとする。

簡潔明快な話しであればまだしても、長々と意図不明な話をされても相手は聞いちゃいないし、むしろ嫌悪感を抱く。

あなたも相手の意味不明な価値を感じない話を聞くことは無駄だと感じるのと同様である。

 

あなたが相手と良好な関係を築きたいなら、するべきことは「聞きに徹する」、正確に言うと、「相手がどんどん話すよう、所々質問を挟み、聞きに徹する」。

相手に話をさせる事で、相手の考えやバックグラウンドが次々と出てきて、あなたは相手がどんな人物かを把握できる。

重要な事は、自分を知ってもらう事よりも、相手がどんな人かを知る事。言い換えると、相手の「傾向」がわかれば「対策」が講じられる。

 

相手の興味・関心のあること、どんな価値観や思考であるのか等々。

話しをさせる事で、相手の様々な「糸口」を見つけることになり、後々、その「糸口」を辿りながら、相手に共感・同意し距離を縮めていく。

「自分を認めてくれている相手」の話しは聞き入れやすいし、本音を言いやすい。

「話す事」は相手からすれば、「話を聞いてもらう事=自分を認めてもらう事」となる。セールスパーソンのあなたがこの心理だから一所懸命話そうとするだろうが、相手はお客様で、お客様があなたを認めたからと言って、あなたの商品を必要もないのに買う訳がない。

真逆で、あなたがお客様に認めてもらう前に、お客様があなたに認めてもらっている、と認識できる状態をつくることが肝要である。

その前提をつくった上で、あなたの事をお客様に認めてもらうよう、話すなり行動に示すなりすればいい。

中小企業の役職名ほどアテにならないものはない

役職名は組織の序列を示すものであると同時に、その人の能力を示すものと言える。

しかし、同一名称であっても、組織毎に比較すると大きな違いがある。

平たく言うと、従業員1,000人を超える大企業と10人の中小企業では、同一役職名であっても、能力に雲泥の差があるという事。

極端な言い方をすれば、中小企業の社長は大企業の課長と同等の能力である可能性もあるという事。

 

経験したエピソード。

部長として長く財務経理を担当していた人が引退を考え始め、後任を異動させてきた際に非異動者の事を、「銀行にナメられるから、彼に課長の肩書を与えるべきだ」と発言。

心情は察するが、本質が見えていない。

実務のやり取りを行い、しばらくすれば銀行はその人の能力を捉える事になる。その能力が未熟であれば、銀行はどう思うだろうか?普通に考えれば、「この会社の課長ってこんな程度?」となるのではないだろうか?そうすると、その人はおろか、会社自体がナメられる事になる。

他にも類似したことが頻発している。

「会社組織を強固にし、前進前衛的な組織を目指す!」と宣言し、店舗統括していた人物(その時点で部長の肩書)を役員としたのだ。

取引先の人たちは“昇進”でしかも“役員”であるから、大げさなまでに「祝辞」を述べる。

それに対し、当人は謙遜発言するも、ご満悦の表情。

取引先の人たちもバカじゃないので、当人の能力判断はしている。その心の声を可視化すれば、「あの人が役員?あの会社大丈夫?」、「また偉そうな言動に拍車がかかるな」、「役職の大バーゲン会社だな」ナドナド。

安易な役職付与は会社の対外的な信頼や評価を下げる事になる。更には、明らかな能力不相応な付与は当人にも悪影響を与え、役職名に満足してしまい、大きな勘違いを生み出し、社内外にも悪影響を振りまく。

言うまでもなく、役職付与は適正に行えば、当人は勿論、組織全体が活性化する事は事実である。しかし、この事例の様に、誤った付与は何らプラスを生み出さない。

 

中小企業にも関わらず、役員や役職者が多い会社は血縁者がはびこるスーパー同族会社か、ナンチャッテ経営をしているワンマン社長会社のどちらかが殆ど。

その事象は社長の経営者としての無知さか無能さを示すと言っても過言ではない。

相手の話をじっくり聞けば相手の知力が見えてくる

相手が話す“内容”を理解・把握する事は当然重要であるが、同時に、相手が話している際に用いる“単語”や“言葉の構造”を意識すると相手の「知力」が見えてくる。

相手がどんな肩書きや年齢であっても、常にそれらに伴った知力があるとは限らない。

例えば、「相殺」、これは「そうさつ」ではなく「そうさい」。「そうさつ」と読むときは「互いに殺し合う事」である。「直火」、これは「ちょくび」ではなく「じかび」。「重複」、これは「じゅうふく」ではなく「ちょうふく」、等々。

間違い易い言葉を平然と間違えたまま使っている役職者や年長者になっていないだろうか?

 

人の上に立つリーダーやマネージャーとして、用いる言葉の「質」を意識しているだろうか?

要は、どれ程の「語彙力」が自分にあるか?

「語彙力」が乏しいと、回りくどかったり稚拙な話し方になる。

 

一般的に「語彙力」の高い低いは「本を読んでいるかどうか」に依ると言われている。

所謂、「口語」と「文語」の違いで、本は「文語」で書かれているので、作者の表現したい事を極力端的且つ明確に示す熟語を多用する。なので、「語彙力」が無いと文章を理解できないことになる。

分かりやすく言うと、メールで相手に何かを伝えようとしたとき、書き始めたものの上手く書けず、面倒くさくなり、電話で伝える、という行動は、言い換えると、「文書作成能力(=語彙力)が低いから、電話で済ませる」となる。

メールやSNSが普及し、文書(文字)によるコミュニケーション手段が容易な現代社会に於いて、今尚、主に電話でコミュニケーションを取る人は、この傾向があると思っていい。

 

文章を書くことは語彙力を鍛えるいいトレーニングである。

トレーニングだけに楽ではない。

楽ではないから向き合うには覚悟が必要である。

逆に言えば、トレーニングを避ければ自分の語彙力は高まらない。

「俺は本を読むのが苦手だ!けれど、何でも実践して体験する主義なんだ!」と「読書」というトレーニングをあたかも正当な理由の様に聞こえる言い訳で回避している人は真なるリーダーやマネージャーにはなれない。

 

意識しなければならないのは、“低い語彙力で良く喋るリーダーやマネージャー”になっていないかどうか?

 

長年同一業種で働いたからといって“プロ”とは限らない

「この道30年です」、「ずっと〇〇畑でやってます」、なので、「プロです!」と主張する人がいる。

その業種に従事していない人と比較すれば、長年同一業種に従事している人は当然、知識や技術は上回っているだろう。

しかし、それを指して“プロ”と言うには無理がある。

 

同一業種内で比較するとどうだろうか?

その上でもトップレベルの知識や技術を有しているなら“プロ”と呼べるかもしれないが、正確には“スペシャリスト”である。

 

“プロ(フェッショナル)”と“スペシャリスト”の違いは、私の定義上、“プロフェッショナル”とは、「金銭を得て与えられた任務・役割を担い、然るべき結果を出す人」。“スペシャリスト”とは、「ある事柄に圧倒的に精通した知識や技術を有している人」である。

更に、“プロフェッショナル”は時として“スペシャリスト”を含むが、“スペシャリスト”は“プロフェッショナル”では決してない。

 

長年同一業種を経験しているからと言って、「圧倒的に精通した知識や技術を有している人」になれるだろうか?

本人自ら、自発的に自らの業種に関する知識や技術、情報を、同一業種のライバル以上に得ようと努力せねば身につくわけがない。

平たく言うと、同業者から一目置かれる状態になっていれば“スペシャリスト”と呼べるであろう。

 

先述通り、“プロ”とは、「然るべき結果を出す人」なので、「然るべき結果」の程度は「報酬」によって示される。

敢えて言うと、給与所得者は「給与」という「報酬」を得ているので“プロフェッショナル”と言える。しかし、その額に高低があるという事は「然るべき結果を出せる能力の高低」と言える。

どの程度の“プロ”なのか?ピンキリである。

 

冒頭の「この道30年です」だから“プロ”です!は、長年経験しているという「量」は事実としても、「質」は必ずしも比例しないので“プロフェッショナル”とも“スペシャリスト”共に、言うには無理があるのである。