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For Sales Person

従事している仕事の経験が長いからプロと言うのは早合点

「業種」と「職種」は異なる。

「転職」は、それまで従事していた「業種」は変わらず、勤める会社が変わる場合もあれば、「業種」が変わる場合もある。

「職種」は、それまで従事していた「業種」問わず、平たく言うと、何の「部署」にいたかという事で、「転職」しても「職種」が変わらないことが多い。

この「職種」と「業種」のいずれにしても、社会人として働き始めてから今に至るまで、ずっと同じで「転職」もしていないという人は稀ではない。

従来は終身雇用と言われる日本式経営がスタンダードだったが、最近でこそ、「転職」する事は容易になり、またポジティブな事として捉えられる傾向になった。

さて、本題。

業歴○年、経験○年と、その「職種」や「業種」に長期間従事している事を、その人の能力目安として捉える事があるが、注意しなければいけないのは、“長年やっている”=その「職種」や「業種」の“プロ”と認識することである。

時間や年数と言う「量」に比例して身につくことがあるのは否定しない。しかし、誰もが同一の「職種」や「業種」に従事したからと言って、同一の能力になるとは限らないからである。

“プロ”という定義は調べても一つではないし、明確ではない。

私が考えるプロとは、先ず「卓越した知識(ナレッジ)・技術(スキル)」を身につけている事、そして「卓越した自己制御能力」を身につけている事、その上で、「与えられる役割に対して然るべき結果を出せる」人を指す。

よって、先述通り、「長く経験しているから」はプロであるかどうかに無関係なのである。

早合点しがちなのは、異なる「業種」や「職種」の人を見て、その人が自分に無い知識や技術を身につけていることを“プロ”という事。

繰り返すが、時間や年数は参考程度でしかなく、それを鵜呑みにして人物判断するのは早合点である。

逆にいうと、時間や年数に比例しないのであるから、短期間でもプロになるという事は可能であると言える。

電話で対処する習慣をやめる

「話す」事と「書く」事を比べると、「書く」方がメンドウクサイ。だから、「話す」という方法で対処する方が手っ取り早い。

これをリーダーという上位者が当然化・正当化して平然と行っている組織は決して良くならない。

「話す」は一見、手っ取り早いというメリットを感じるが、「話す」人は「話した」事で、伝えた・終えたと認識するも、聞き手は「記憶」頼りで時間が経てば忘れることになる。要は、話し手本意の方法に過ぎない。

「書く」は書くために一旦、「書く」内容を整理整頓しなければならない。そして、それを文字としてタイピングしなければならない。これらのプロセスがメンドウクサイのだが、内容の整理整頓のプロセスを経るからこそ、落ち着いて冷静に、時には客観的に対処することを捉えられたり、再考することになる。更に、「書く」事で複数に同時に「共有」できるし、「記録」として残る。

対処すると言う事は一過性ではなく、生きたケーススタディと言える。だからこそ、当事者に対して、この機をどう学びに変えようか?と考えるべきが、育成観点を持ったリーダーである。対処中に同時並行にそれを行う事は容易ではないからこそ、振り返ることが必然となる。

「話す」事と「書く」事、リーダーとして考えれば、どちらを選択するべきか言わずともわかるであろう。

“メンドウクサイ”のか?、“文書作成能力不足”なのか?、“単なる横着者”なのか?、“無意識”なのか?いずれにせよ、電話ばかりしているリーダーは見る人が見れば、「多忙」と見えるのではなく、「自分は不出来です」と見えている。

真なるリーダーはメンドウクサイを避けるのではなく、自ら向かって行き克服・解消する事が出来るのである。それは、対処することにではなく、自分自身に、である。

 

社長でさえ現在進行形

あなたは、あなたの会社の社長に対して疑問や異論を抱いたことは一度くらいあるだろう。

それを酒の肴にするのではなく、言葉や文字にして、社長に伝えたことはあるだろうか?

こう聞くと、「失礼な事だから出来ない」、「懲罰・報復が怖くて出来ない」、「そこまで思っていないから我慢する」などの返答になるだろうか?

または、あなた自身が「社長は正しい、知っている、分かっている」と勝手に思い込み、決めつけていないだろうか?

だから、社長に伝えないのだろうか?

 

社長と言う仕事を何度か経験して社長をしている社長は「プロ経営者」と言われ、日本にはマダマダその数は少ない。

要は、大中小企業問わず、殆ど多くの社長は「社長業初体験」と言えるのだ。現在、社長業を担いながら、社長業として担うべき内容を学んでいるという事。

それが事実だからこそ、あなたの思い込み、決めつけは無用であり、むしろ、積極的にあなたが発言するべきなのである。

最も不幸なのは、あなたが勇気を以て発言したことに対し、「感情的」に対応する社長の下にいるという事。もし、こうなっているのであれば、絶対に違う会社を探すべきである。

ありがちなのは、社長=創業者として、その才覚で今日をつくり上げてきた事は紛れもない事実であるが、その結果を以て、“全て優れている”と自他共に認識してしまう事である。

決してそんなことはない。

ご存知かもしれないが、社長と呼ばれる人には大きく分けて3タイプある。「起こす人」、「続ける人」、「変える人」。社長は「創業者=起こす人」としての能力は長けていたかもしれないが、「続ける人・変える人」として能力にたけているとは限らない。

あなた自身の進化成長と会社の進化成長のベクトルが同一方向なら、勇気を以て発言しよう!

 

 

現状や事実の把握と認識の重要性

リーダーやマネージャーと言われる、人を動かす人は「判断する」という事が一つの大きな、そして重要な役割である。

その「判断」するに必要なことは、先ず、的確に現状や事実の把握と認識するという事が肝要である。

“シミ抜き”に置き換えるとわかりやすいのだが、出来てしまった“シミ”を落とす時に、「濡れた布でふき取る」、と言った行為を悪気なく、または、それが自然・当然と思い行ってしまうと、付着している“シミ”によっては、「水に触れさせると化学反応して変質してしまう」や「拭くのではなく軽くたたかねば繊維まで入り込んでしまい逆効果」になる場合がある。

要は、「“シミ”を抜く方法」(=プロセス)は正しくても、“シミ”(=原因、問題・課題)が何によって出来たものか?何の“シミ”か?を把握・認識しなければ、望まぬ結果になってしまうという事。

陥りやすいのは、プロセスに集中してしまい、どのプロセスを選択するのが賢明か?を考える事に熱心になってしまう事。

そうではなく、原因、問題・課題によって、選択するプロセスは異なるのだから、先ず何よりも原因、問題・課題を的確に把握・認識するという事が重要である。

だからこそ、原因、問題・課題の把握・認識をするためには、判断する立場・役割の人が“現場”に自ら足を運び、“当事者”に聞く必要がある。逆を言うと、判断する立場・役割の人が自ら動かず、人からの報告や伝聞で判断しようとするなら、望まぬ、誤った結果に至る可能性が高くなる。最も最悪・最低なのは、その結果に至った際に、報告・伝聞してきた人に責任転嫁する事である。

繰り返すが、「どうやって解決しようか?」を考える事よりも、「何故起きたのか?」、「何が問題・課題なのか?」を客観的且つ冷静に、それでいて充分に認識把握することが最も需要である。

付き合いが長い=知っているとは限らない

お客様のみならず、人との付き合いが長さと、相手のことを“知っている”、“わかっている”が比例していると錯誤しがちである。

仕事で見受けられるのは、お客様であるが故に、こちらから仕事に関わる事以外を「質問する」という事は「失礼な事」や「ダメな事」、上司にも同様であり、近年ではセクハラという言葉に腰が引けて、同僚や後輩にさえ、迂闊に質問することも気遣わねばならない。

私の知る限りではあるが、この様に考えている人は多く、それが普通であるとさえ思っている。

「氷山の一角」と言う言葉が示す通り、見えている事、聞いた事は“一角”でしかない。確かに、長年付き合っていると、一角は時間と共に増えるであろうが、決して一角の域は出ない。

気を付けなければならないのは、一角が相手の全てとまでは言わないが、殆どだと“思い込む事”。

“思い込み”が時に従来と違った事象や結果を示した時に初めて“誤解”や“過信”と気付かされるが、その時には大抵、後の祭り。

セールスパーソンは失注や得意先消失という痛くツライ結果を以て、この事をよく知っているはずである。

認識しないといけないことは、相手のことを“自発的”に知ろうとする言動をとる事無しに時間経過のみで相手を知っていく度合いが深まる訳ではないという事。

違う言い方をすると、付き合いが短くても、“自発的”に相手のことを知ろうとする言動を取れば、長年付き合っているというハンデを克服する事が出来る、と言う事。

相手が理解しなければ無意味

言葉は自分の意思を自分以外の人に伝えるために用いるのだが、自分の用いた言葉は、相手と語彙の理解が同一か否かを確認する事無しに用いられる。

それによって、誤解が生じたり、伝わらないという事が生じる。

これは何も仕事の場にだけ於いて起きることではなく、親子や血縁者・親近者の間のコミュニケーションでも生じていて、時にモメ事になったり、言葉遣いの難しさを痛感する。

私の場合、仕事に於いて言葉が「商品」だけに、常々、言葉遣いに注意する。しかし、それでも日々、誤解が生じたり、伝わらないという事が生じ悩まされる。

そんな時、「相手は自分ではない」という言葉を思い出す。

すごく当たり前のこの言葉に出会うまでは、「自分の当たり前は相手にとっても当たり前」という認識が強かった。だから相手と摩擦が生じて、結果的に自分自身が苦しく辛くなる時が頻繁にあった。

この言葉によって、より一層、「わかりやすく話す」という事と、「相手の前提を出来るだけ捉えて話す」という事を意識するようになった。

その結果、万事解決!とまでは行かないが、以前に比べて相手が理解・納得していると思われる反応が増えたように感じ、何よりも自分自身が楽になった。

最近、よく感じるのは「つもり」や「独りよがり」と言う言葉は相手や第三者によってしか気付かされない、という事。私は時に、その「相手」であったり「第三者」であるが、自分の事となればナカナカ気付けておらず猛省するばかりである。

私の商品は「言葉」。商品品質を高めるべく、日々、努力する他ない。