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Opinions

スキルよりナレッジを習得すべき

先ず、“スキル”も“ナレッジ”も人の能力である。

巷では“スキル”と言う言葉が多用されている。敢えて言うなら乱用されているように思う。特に仕事に関する話には、やたらと“スキル”という言葉が使われがちである。

“スキル”とは「技術や技能」がその語彙である。言い換えると「動作」であって「目に見える」。

パソコンソフトであるエクセルやワードを操作するスキル、スマホやタブレットを操作するスキル、フォークリフトやユンボ(パワーショベル)を操作するスキル、といった用い方がわかりやすいかと思う。

先述通り、“スキル”は「技術や技能」なので、よって、初めは誰だって、どんな事だって不慣れだから下手で上手くいかない。しかし、繰り返す事によって熟練され、その能力が高まってくるものである。逆にいうと、繰り返さなければ高まる事は無いと言える。

“ナレッジ”とは「知識や知見」がその語彙であるが、私はこれに「情報」も加えて語彙と説明する。こちらは“スキル”と違って「目に見えない」。

 

“スキル”と“ナレッジ”の関係は“スキル”が「線」で“ナレッジ”が「点」とするとわかりやすい。

「点」が3つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は三角形「1つ」である、「点」が4つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は四角形や三角形など、少なくても「4つ」である。

共に、出来た図形を「業務対応能力」や「コミュニケーション能力」とすると、「点」が多い方が出来る図形の数が多いので、能力が高いと言える。

要は、“スキル”は“ナレッジ”によって活かされるものである。だから、“スキル”よりも“ナレッジ”を習得すべき、と言うのである。

もう少し説明すると、“スキル”は「線」なので、この説明で言うと“スキルが高い”は「線が太い」となる。よって、「線」がどれ程太くても、「点」が少なければ、シッカリとした三角形は出来ても、数は1つでしかない。この状態を平たく言うと、単なる「おしゃべり上手」である。

おしゃべり上手のセールスパーソンは一見するとデキる奴に見えても、話し込んで行けば無知が露呈すると逆に反感を買ったり、痛々しいものである。

“スキル”は「高く」、“ナレッジ”は「多く」である。

“スキル”は繰り返し繰り返し、何度も何度も「動作にする」事で高くなる。“ナレッジ”は先ず出来るだけ幅広く自分に取り込み、そして繰り返し繰り返し、何度も何度も「話す」事で「多く」なる。“ナレッジ”を多くするには二段階のプロセスが必須である。

私が知る限り、所謂、会社勤めをしているビジネスパーソンに於いて欠落しているのは“スキル”ではなく、“ナレッジ”と思う。何故なら、どんな業種や職務であれ特別な“スキル”は必要としていないからで、それが証拠に転職すると転職先の業種知識が無ければ最初は苦労するが、パソコンやスマホ・タブレットなどで困る事は無い。

“ナレッジ”という「点」を出来るだけ多く習得する事が、あなたの公私を豊かにしてくれます。先ずは興味関心のある事柄を深堀する事、少なくとも従事する業種の専門知識は誰よりも習得する事。

長年、その業種に従事している事で身に着く“ナレッジ”は同業他社のライバルも同等に習得しているので何ら差別化は図れない。意識的に“ナレッジ”の習得を行う事無しに個の優位性は生まれない。

是非、貪欲に「点」の習得を!

 

ことわざ・格言の価値

私だけだろうか?ことわざと格言に言い知れぬ価値を感じる。

いつ、誰が発したかの語源・由来が明確なものよりも、一切が不明でありながら、辞典などに記されているものに驚きと感心を隠せない。

何もかもが今の様に発達していない中、唯一同一は「人間関係」や「人間性」と言うこと。

その中で生み出された、ことわざ・格言は今に生きている。

と、言うことは、どれだけ文明文化が発展しようとも、「人間関係」や「人間性」、更には「人間」はいつの時代にも不変という理解になる。

と、言うことは、“歴史から学ぶ”通り、人間によって発展した文明文化は人間によって滅ぶとということになる。

で、あれば、今起きている多種多様な天災や人災の事象は未来から振り返れば滅びゆく一つ一つの階段とでも言うべきことではないだろうか?

ことわざ・格言は先人の残した最高の遺産の一つであり、人間の本質を問い諭す訓示でもある。

 

少し未来を考えよう

あなたは「消える職業、無くなる仕事」という記事を目にしたことはあるだろうか?それが、あなた自身の身近に迫っていると感じているだろうか?

“今の常識は未来の非常識”。

時代と言う目に見えないものを感じ取り、少しでいいので、その先読みをして自分自身を導いて行かねば、あなたが望まぬ人生となる可能性が高くなる。

国が社会が会社が何かしてくれる、と思うなかれ。自分の身は自分自身でコントロールするのが当然になってきている。こう聞けば、承知済みと言うだろうが、で、あれば、承知の上で、あなたは具体的にどんな行動をとっているだろうか?

「人口減少で労働者不足に陥るから雇用側は大切に扱うだろう」、は立場違いで言うと、「人口減少で会社の成長はおろか、現状維持は御の字、多少の縮小も覚悟して何とか維持させたい」と考える。あなたは店・会社から見て、繋ぎ留めたい人財であるだろうか?

“極端なまでの二極化が現実となる”

平たく言うと、使える人財は重宝され手放したくない、代わりが見込める人財は無難でいい。これが給与にも露骨に反映する。そして、その先には経済格差と言われる現実に直結する。

これまでは、大企業であれば社員を教育研修し能力育成することで会社の成長基盤をつくってきた。一方、中小零細企業の殆どは教育研修に時間と金を掛けることなく、社長のマンパワーと偶発的と言える一部の僅かな社員の自発性か潜在能力の開花によって存続してきたと言える。

しかし、冒頭の通り、社会のパラダイムシフトが起きようとしている中、大企業定義は変化するし、大企業だからと言って従来通り教育研修するとは限らなくなる。中小零細企業となれば、その存在さえ無くなる環境が迫っている。

“何とかなる、は自助努力した人のみ言える”

今日まで通りの働き方は未来に通用しなくなる可能性が高まっている。時間を過ごして真面目に働いていても能力は進化成長しない。したとしても他人との違いや差は生まれない。意識的に「勉強」しなければならない。

大人が子供に勉強している姿を見せないから子供が勉強しない。大人が勉強しないから、子供に教えられない。だからこそ、大人が勉強しなければ、あなた自身はおろか、日本は良くならないと思う。