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年間カレンダー作成のススメ

飲食店現場にはサプライヤーの納品予定を示すカレンダーが存在している。

これを見ながら、市場が休みの時は普段より多めに発注し“段取り”を組む。

 

こうやって、カレンダーを見て先を踏まえて”段取り”を組むことがここまでになっている事が多い。

違う言い方をすれば、多くは人の記憶に依存し、“慣れ”で事を運んでいる事が多い。

よって、軸となる人が忘れていたり、遅れて言いだせば慌ただしく事を対処する事になる。

 

「記憶」ではなく「記録」し、「個々」ではなく「共有」し、「行き当たりばったり」ではなく「計画」するために、出来る限りのことをカレンダーに書き込む事を強くオススメする。

・店のミーティング

・店長や上位者との面談

・棚卸

・グランドメニュー替え

・季節または月毎のおすすめメニュー

・新宴会メニュー

・来店、販売促進活動

・レクリエーション

等々、ありとあらゆる店で生じる事、店がやらねばならない事を書き出す。

料理に携わる人であれば食材の旬はおおよそ把握しているだろう、オープンして1年以上経過している店であれば、曜日や月の傾向は見えてきているだろう、そうであればあるほど、様々な取り組みを“段取り”良く組み立てられるであろう。

 

わかりやすく言うと、何かを実行する日から逆算して、実行する事が円滑に運ぶよう、それに関わる物事の日程を組み立てるのである。

例えば、10月1日から秋を感じていただくグランドメニューを導入するとして、

・新メニューブックの納品日と入稿日

・新メニューの試作会・試食会日

・新メニューに用いる食器の手配

・新メニューお知らせの宣伝告知配信・発送日とその作成期間

等々、上記を考えると遅くても7月初旬から着手しておかなければ余裕なくドタバタで事を進める事になる。これは、7月からの夏メニューを実行していたとすれば、夏メニュー実行した直後に、もう秋のメニューの事を動き始めるという実態である。

こういった事を実行している店なら当然の事としてお分かりの通り、年4回グランドメニューを改定しようと思うなら、息つく暇なく、次から次へと先々の手を打つ予定になる。

 

多くの店舗で陥りがちなのは、感覚的に何かをしなければいけないとわかっていても具体的日程が不明確が為にズルズルと先延ばしになり、いよいよ期限が迫ってから慌ててやり始める状態。

これでは、「やる事」に意識が持って行かれ、肝心の「やる事」の“質”が置き去りになってしまっている。

こんなプロセスだと、やっても大した効果や結果が出ず、「やっても無駄」と言い出し、「やる事」さえ止めてしまう事となる。

止めてしまうから、店が良くなる訳なく、悪循環に陥る。

 

重要な事は、「やる事」ではなく、「やる事」の“内容”=“質”に意識を集中し、“段取り”よく前もって考えるのである。

「やる事」はカレンダーに書き込み、「やる事」を“やろう”と考える必要が無い状態にするのである。

 

 

 

 

立場や年齢が上の人に本音を言わぬが人の常

上司に対して“意見する”という事は部下にとって容易ではない、という事を強く認識しておくべきである。

あなたが中間管理職であればお分かりの通り、あなたが社長に“意見する”事と同様の心理である。

ましてや、“反論”や“異論”となれば躊躇するのが当然で、これを強く認識しておかなければ「裸の王様」に陥るのである。

 

社長はじめ、リーダーは物事を“判断”するのが役割である。

しかし、“判断”に際して、「感情的になる」、「言葉少なく断ずる」等、言い方を間違えると、それに関わる人達は「諦め」、「呆れ」、「投げ槍」等々、失望ややる気を失せる事になってしまう。

 

例えば新商品の試食会を開催しているとして、結論的にダメな物はダメで要変更、再構築なのだが、それを「マズイ!こんなものはダメだ!」で断じてしまう状況。

提案側に意図や想い考えがあってそれをつくったと考えられないだろうか?それとも単に手抜きのやっつけ仕事なのだろうか?

後者だと判断できるなら、先述の断じる方法で構わない。しかし、前者ならばリーダーであるあなたがそれらを「聞き出す」必要がある。

あなたの怒りや呆れ、失望と言う感情を抑え、相手が話しやすくなる雰囲気をつくり、丁寧に本心で提案側の意図や想い考えを「聞き出す」のである。

 

あなたがリーダーとしてワンマンではなく、皆の意見や考えを取り入れ、全員参加型でフラットなチームや組織を目指す、と言うのであれば、「どんどん言ってくれ!」ではなく、どんどんあなたから「どうしてなのか?」、「何故なのか?」、「どんな考えなのか?」等々、あなたから「聞き出す」事を積極的に行う必要がある。

念の為言うが、「聞き出す」事をし、返す刀で否定や反論してはいけない。

それをしてしまうと、「聞き出す」事は単なるポーズでしかないと相手は認識し、本音を言わなくなってしまう。

 

もし、あなたが全員参加型でフラットなチームや組織を目指しているにも関わらず、部下から意見やアイデアが出ず、それを部下が無能で部下が原因だというのは早合点である。

そうではなく、部下をその様な状態に追い込んでいるあなたの無能無知が原因かもしれないと考えるべきである。

 

 

現場でワーワー言って終わらすダメ行為

社長やマネジメント者が現場に行って、これ見よがしに現場での不具合や問題課題を指摘する事は愚の骨頂である。

やってる者は自分の役割を果たしているつもりであろうが、それは全く無知の独りよがりである。

 

何がダメなのかと言うと、

・言って済ませる=言いっぱなしで、言った側も言われた側もその場限りのその場しのぎで終わってしまう

・当事者間だけの事として終える=他店にも同一、類似事項が生じているかもしれないにも関わらず、共有できない。中間管理者への報告が無ければ、知らずのまま終わってしまう

要は「記録」に変えなければ意味も価値もない。「記録」すれば、言った側も言われた側も振り返れるし、他店や他社とも共有が可能である。

「記録する」という事=「書く事」が面倒くさいから、言って済ませるという安直な行為で済ませ、役割を果たした気になって終えてしまうのである。

 

更に、指摘事項の全てはその場で指摘するのが賢明か正しいか熟考する必要もある。

決して基準やルールを一度も示したことが無い物事を指摘してはならない。指摘内容によっては、基準やルールが存在しないが為に、指摘する人の個人尺度で指摘している事があるかも知れない。

そうなった場合、指摘される側にとってみれば、「社長はこう言うが、マネージャーはこう言う」と、違いを受け止め困惑するばかり。基準やルールの欠落は社長やマネジメント者の責任。

 

違う言い方をすると、指摘事項を発見すれば、それは基準やルールの有無を確認する事にもなり、無い場合は現場で指摘することなく、基準やルールを設けた上で後に指摘する必要がある。勿論、基準やルールは明文化する。

明文化したものは「読んでおけ!」で伝えた気になってはいけない。一つ一つ丁寧に読み合わせながら、内容によっては、何故、その様な基準やルールになったのかを説明し、理解納得を得る必要がある。

 

“面倒くさい”と思う心を社長を筆頭にマネジメント者が抱けば、その皺寄せは現場へと向けられる。

上位者の怠慢が原因で現場には次から次へと“面倒くさい”が吹き溜まり、険悪な空気感が充満する。

険悪な空気感は人の行動に現れ、上位者が「出来ていない!」と指摘し、悪循環に陥る。

 

現場での不具合や問題課題は現場の問題ではなく、社長を筆頭にマネジメント者の能力の問題である。

 

 

 

 

無責任な「任せた!」は“害”しか生まない

マネジメントの要領の一つに「任せる」事があるのは事実だが、これを錯誤していると“任せた側”は「どうなっているんだ!?」と怒りが湧き、“任された側”は「無茶言うよな」と呆れややる気を無くす。

 

そもそも、「任せる」は“任せる側”の権限なので、“任される側”に責任は無い。

分かりやすく言うと、社長やリーダーや店長という上位者が“任せる側”として行う事なので、その人たちに全ての責任がある。

その人たちが

①“任される側”の能力を理解・把握していない

②任せる事の内容を“任せる側”が理解・把握していない

この2つのどちらか、または両方の状態にも関わらず、「任せた!」となるとお互いにとって“害”や“不幸”しか生まない。

 

「任せた!」で“任される側”の「成長の機会を与えている」等と“任せる側”が思うこと自体、大きな錯誤。もし、“任せる側”が自分で対処したり自学するのが面倒くさい、たいへんだと思う事を丸投げで行っているなら、上位者として失格である。

もう一度言う、“任される側”には一切の責任は無く、“任せる側”のみの責任である。

 

“任せる側”が「任せた!」という前に行うべき事は先述①②の真逆である。

ア)“任される側”の性格・能力を把握する

イ)任せる事の内容を“任せる側”が多少なりとも理解・把握する

 

あなたは部下より優れているから上位者であって、あなたが出来ない事、知らない事、考えられない事を部下が出来ると思う事が錯誤である。

悲しいかな、放っておいても向上心高く自学し、あなたが知らない事を出来る部下が居る可能性は中小企業に於いてはゼロと思うべきである。もし、「居る!」と言うなら、あなたはア)が出来ている証拠なので、適切な「任せた!」としている事だろう。

 

どのレベルの店長があなたの言う店長?

「店長によって店の売上は簡単に上がりも下がりもする」と言う言葉を耳にしたことはあるだろうか?

これは事実で、全く同感である。

 

では、この言葉を分解して理解すると、店長の役割が見えてくる。

端的に言うと、「まわす」だけの店長か、「売上や利益を上げる」店長か、の違いである。

 

前者はシフトを組み、商材を発注し、注文が入れば商品をつくり、そして商品を出し下げし、会計してお見送りする。これらの一連のオペレーションを滞りなく、円滑に行う事。

後者は前者に加え、売上=客数×客単価として捉えて、両者またはどちらか一方を上げるための策を“営業外”で考え、そして“営業中”に実行する。

 

組織や会社のレベル感は店長を見ればよくわかる。

店長はおろか、本部員と言われる統括者やSVでさえ、前者能力しかない組織や会社も実在する。

たちが悪いのは、その本部員が前者と後者の間の中途半端な知識しか無い場合、利益を上げるために現場の負荷が掛かることを要求する策のみを講じ実行し、売上を上げる為に安易に値引き・割引のクーポン配布の目先の付け焼刃施策を連発させる。

百歩譲って、店長がこのレベル感であっても仕方がない。しかし、本部員がこの程度であれば、たかが知れている。逆を言うと、本部員と言うならば、後者の様々な具体的方法論を熟知し、失敗も成功も豊富に経験しているべきであろう。

 

前者能力を以て店長と定義するなら、それはそれで良く、それ以上の事を本部員が賄えばいい。後者能力を以て店長とするなら、それ相当の時間を掛けて教え、実行させ、検証させの所謂、“PDCA”サイクルを繰り返す事。

最悪な組織・会社は、店長に前者以上の能力を当然的に求めるも、後者能力の育成環境や機会を与えず、「自分で勉強しろ!」と上司らしいもっともな言葉で、自分の勉強不足や無知を隠ぺいする本部員が存在する。

店の幹部と店に行けば内情が直ぐわかる

私は仕事柄、クライアントの店舗にクライアント社長や幹部と訪問する事が多い。

行けばクライアントの社内事情が透けて見えてくる。

 

予約も予告もせずにいきなりいくと、「いらっしゃいませぇ」と語尾が弱まりながら、驚きも混じり、こおばった表情で出迎える。そして、「どうしたんですか急に?」、「何かあったのですか?」等々、やたらと詮索する質問をしてくる。更に、一般客が居るにも関わらず、我々の席を離れようとせず、周囲に注意を払う事も怠る。挙句、新入アルバイトのご挨拶大会が開始される。

こういった事象が起きる会社は

・現場と本部に距離や溝がある

・現場は疲弊している

・現場に緊張感や張り合いはなくダラけている

・社長筆頭に幹部が偉そうにしている

・現場は本部の悪口・批判が尽きない

等々、読者の想像通りの体質の組織である。

 

一方、真逆組織の現場に行った際に起きる事象は、一般のお客様と何の隔たり無く同等の対応をする(むしろ、一般客を優先する)。よって、先述事項と真逆の現場と本部の関係である。

 

「事件は現場で起きる」の名句通り、店舗を持つ会社なり組織は現場で起きている事実が全てで、その事象がその会社や組織の内情を如実に表している。

社長や幹部が社外の人にどれ程、何をどう言おうが、「現場の事実が全ての事実」である。

 

仕事を「こなす」と「蓄える」は大違い

24時間365日は誰にとっても平等に与えられている。

しかし、人によって誤差が生じるのは何か?

 

同じ会社や店で殆ど同じ仕事をしている人が2人いるとして、共に意欲旺盛に仕事するも、1人は“こなす人”、1人は“蓄える人”だとしたら、先に雲泥の差が生じる。

言い換えると、風呂桶にお湯をはっている状態として、両者とも仕事意欲旺盛を勢いよく蛇口からお湯が出ているとして、前者は「栓」を閉めないでいる。後者は「栓」を閉めている。

一見すると、両社は同量のお湯が勢いよく注ぎ込まれているが、結果は違う。

 

前者は仕事が終われば気持ちよく、「お疲れ~!」とキレイサッパリその日を終える。

後者は日々の仕事で学んだことや失敗したこと、悔しかったことを書き留め、気づいたことを調べたり、本を買って学んだり。

前者は「記憶」に頼り、「感覚的」。

後者は「記録」に頼り、「論理的」。

 

私が知る限り、飲食店繁盛店はコツコツ地道に小さなことを“積み重ねる”。

「記録」にすることで、働く仲間と良いことも悪い事も「共有」する。

「記録」になっているから、“過去”を振り返り、「具体的」に何が良かったのか悪かったのか、“先”に活かす。

言った言ってない、伝えた伝えてない、なんて事で信頼関係を損ねたり、無駄な時間を取らぬよう、「記録」する。

季節指数や曜日指数を個人毎に「感覚的」に捉えぬよう、データとして管理し、それを踏まえて販促計画を立てる。

1年は12か月なので、何年も営業しているし、季節も毎年同様に変化するので、昨年のいつ、どんなメニューだったか?どんなフェアやイベントをやったか?全部「記録」している。だから、それが上手くいったのか外れたのかをデータで「記録」しているので、今年はこうしよう!と昨年よりも更に良い考えを出そうとする。

 

あなたは「こなし」て来ましたか?「蓄えて」来ましたか?

「蓄えて」来た、と言うならば、あなたの「蓄え」を人に伝えて示してください。

出来るなら、それを文字にして「可視化」してください。

「蓄え」があるなら、人はあなたを頼り、色々と聞いてくるでしょう。

「蓄え」があるなら、あなた自身も色々な事に対応出来たり、新たなチャレンジをしようと思うでしょう。

部下の返事は大抵カラ返事と思え

「はい!」と返事した、あなたの部下は、あなたの言っている事の半分も理解できていないまま、「はい!」と返事していると思うべきである。

もし、あなたが部下に大して普段から指示・命令が多かったり、部下が自ら提言や意見を述べる事が殆どないなら、部下の「はい!」は“単なる返事”で、「わかりました」の意味は全く含まれていないと言える。

もし、あなたが、部下の心理や能力を的確に把握しており、その上、あなたが話し上手で説明上手と自他共に認められているのであれば、その限りではない。

よって、恐らく殆ど多くのリーダー・マネージャーは「はい!」を鵜呑みにせずにおくべきである。

実際に、あなたが話し伝えたことを確認する意味で部下に質問をしてみるとよい。そうすれば、返ってきた内容が相手が理解した内容なので良くわかる。

 

一番やってはイケないのは、「理解できていないのに返事するな!」である。

「はい!」と返事させたのはあなたである。しかも、無理やり。

 

部下はあなたほど有能ではない。あなたが知っている事を知っている訳ではない。あなたが考えられることを考えられる訳ではない。あなたが経験してきたことを経験している訳ではない。あなたの人脈や交友関係と同様の人間関係がある訳ではない。

もし、社長と部下の間で話すなら、その両者のバックグラウンドの差は歴然なので、話す社長自身が相当話を分かりやすく、且つ、部下が理解しうる言葉で話さなければならない。

 

そうなると、「面倒くさい」、「たいへんだ」、「何で俺が」、「お前がもっと勉強しろ」等々、見事に部下に責任転嫁して“パワハラ”発令である。

部下はあなたを映す鏡。

部下の不出来はあなたの不出来。

常日頃から育ててないから、教えていないから、カラ返事「はい!」を連発する。

上司面して抑え込んでるから、カラ返事「はい!」を連発する。

 

 

 

 

「ウマい」「マズイ」言っても仕方がない

自店試食会や店舗視察時に、「ウマい」「マズイ」で評価し終えるのであれば、それは素人同然である。

「ウマい」「マズイ」は個人の味覚思考でしかなく、その商品が個人的に「好き」「嫌い」を言及している事になる。

 

アリがちなのは、繁盛店視察に行って、「これマズイ!」、「なんでこんなマズイ物を出している店が流行るんだ?」と年配の飲食店経営者は言う。

 

重要な事は、今どき繁盛店であれ、老舗店であれ、お客様が支持している店の商品が「何故、支持されてるのか?」を「ウマい、マズイ」抜きで捉える事である。

例えば、「盛り付けや食器の使い方が上手」、「価格に対するお値打ち感がある」、「ありそうで無かった組み合わせ」等々、お客様が反応している、喜んでいる、支持している点を考え出すのである。

 

ナショナルチェーン店の商品を「マズイ」と言う人が居る。

では何故、ナショナルチェーン店はナショナルチェーン店なのか?

「マズイ」ものを出しているなら、店を沢山出せる訳がないのではないだろうか?

 

あなたの個人的な味覚思考はあなたが身銭で支払う商品に対して言えばいい。

「味覚」は目に見えない。千差万別である。だから「ウマい」「マズイ」に正解も定義も無い。

考えた商品を食べてもらいたいターゲット(客層)が支持してくれるかどうか?を考えればいい。

だから、「視覚」「聴覚」に響く目に見えて聞こえる事に注力すべきなのである。

 

飲食人を自認するなら、「ウマい」「マズイ」言うことなく、商品を表現・評価出来るべきだ。

 

 

 

教えていないことは出来る訳がない

「任せたよ!」といって部下に頼むことは上に立つ人にとって重要な事である。

しかし、任された相手が任せる事を出来るかどうかを判断推測せずして「任せたよ!」は大間違い。

 

そもそも、部下はあなたと能力が違う、経験が違う、知識・技術が違う、だから部下なので、あなたが知っている事、出来る事を部下が出来ると思ってはいけない。

あなたは自学自習して今日があるだろうが、それは他よりも秀でた努力・能力を備えていたからそうなったと思うべきである。

表題通り、部下や依頼する相手は「教えていないことは出来る訳がない」のである。

 

いやいや、「自学自習すべきでしょ」、「依頼する事でキッカケを与えれば何とかするでしょ」、「学校じゃないんだから」と言いたいでしょうが、そんな事は起きてもごく一部の人にのみ。

むしろ、あなたが「教える」事を“面倒くさい”、“時間が無い”、“しんどい”と思っているのが本当で、それを体よく「任せた」、「頼んだ」といってるのではないだろうか?

 

「教える」事無しに、部下が指示依頼を対処してくれるなら、あなたは恵まれている、運がいい。そんな希少な部下がいるのだから。逆を言うと、あなたは指示依頼しただけで、あなたは部下を育ててる訳ではない。

それが証拠に、その部下が異動となろうものなら、あなたは強く抵抗するのではないだろうか?何故なら、あなたにとって便利・都合がいいのだから。

 

「自分で勝手に勉強する」人を“プラス人財”と言うならば、「勉強する機会を与えている」にも関わらず、勉強しない人は“マイナス人財”、中小企業に多く存在するのは「自分で勝手に勉強しないけど、勉強機会を与える」と勉強する“プラマイゼロ人財”と認識すべきである。

だから、部下を抱えるあなたが“面倒くさい”等と思わず、「勉強機会を与える」=「教える」事をする必要があるのである。