完璧主義者ではなく全力主義者であれ

ある程度、私を知る人から「完璧主義者」と言われることがある。それに対し、必ず私は「全力主義者です」と答える。

私の感覚では、「完璧主義者」と形容されることは、殆どの場合、褒め言葉と言うよりも、皮肉や嫌味を込めている言葉として受け止める。

私は妥協や中途半端、いい加減、適当等に当てはまる事が嫌いである。そんなことから、言動がキツかったり、強かったり、冷たいと感じとられることがあるのだと自覚している。

そんな事から、「完璧主義者」と言われる所以があるのだろうが、万事、「全力主義」と以て言動がある。

こと、仕事に於いては、その時、その機会、その日の自分の持ち得る能力を最大限発揮し、“ベストを尽くす”という想いである。

後日、振り返れば、その日の事が未熟であったり、異なっていたり、間違えている場合もしばしばである。しかし、“ベストを尽くした”という自分の「納得感」があるので、決して「後悔」はない。

むしろ、自分の進化や変化、成長を認識するという考えに変えている。

「完璧主義」とは一個人だけの事であれば、それを追求し実現する事は可能であるだろう。しかし、それを組織や他人に持ち込んだり当てはめると反発は必至で、実現はおろか、何よりも自分自身が苛立つ最大の原因となり、組織や他人との関係性を大きく揺るがす事になる。

しかし、妥協すると言う答えに辿り着くのではない。

組織や他人それぞれの目的や目標、ゴールに辿り着くという事が最も重要である。そして、そこに辿り着くための「最大の努力を尽くす」という事を関わる人全てで行う事である。

逆に言うと、それぞれの最大を尽くすことを怠っているのであれば、それは指摘したり、叱るべきことである。但し、尽くすべき最善は画一的且つ統一的なものとは限らないという事を承知しておく必要がある。

この事は特にリーダーが認識しておかねば、大きなやる気が周囲から反感や顰蹙を買い、真逆に作用する事になる。

常に最大を尽くす心があれば、その時々、日々が充実したものとなり、時に反省となって明日への戒めにもなる。



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