行き先を決めて歩き出す事

「ゴールを設定する」、「目標を立てる」、「目的をハッキリさせる」等、よく言われる言葉であるが、このタイトルもそれらと全く同じことを言っている。

どの言葉も本質的な意味は、「行き先を決めずに出発すると、単に歩いているだけになったり、ペース配分を間違えたり、必要以上に時間が掛りすぎたり、方向を見失ったり、という状態に陥るので、そうならないように」という事である。

この事で最上位の考えは「人生」である。人それぞれ、何年生きるかわからないが、死ぬ時をゴールと言うならば、その時に辿り着きたい自分の胸の内も含めての状態を出来るだけ明確に描くという事。

次に「仕事生活」。会社員であれば定年が一つの大きな目途となるので、退職日に家族や同僚から、どんな状態で見送られたいのか?それ以上に、自分自身がその当日に、どんな胸の内で居たいのか?を出来るだけ明確に描くという事。

更に、経営者であれば、会社全体や担当する部署の短中長期それぞれの到達したい、定量的・定性的結果を出来るだけ明確に描くという事。

一案件やプロジェクトと呼ばれる大きな案件の場合でも、“求める結果”を定量的にも定性的にも出来るだけ明確に描くという事。

行き先が決まっているという事は、そこに辿り着く「順路」、「時間」、「距離」、「方法」が見えてくる。「順路」や「方法」は一通りではない事が多いだろう。

そうだとすれば、その組み合わせを考えて考えて、最善を考え抜かねばならない。まして、その道中が自分一人だけではなく、仲間や部下がいるならば、その人たちの事も考えるのがリーダーであれば“当然の役割”である。

一つアドバイスするならば、出発地点から行き先を考える事のみならず、逆に、行き先から出発地に戻ってくる事も考えると良い。そうする事で、全く違った考えを思いつくこともしばしば、それにより、より道中の全体図が明確になる=質が高まる事になる。

こうやって書くと、言っている事は当たり前すぎる事とわかるのだが、果たして本当に色々な事の「行き先」は明確なのだろうか?特に、期間が長くなる事=「人生」が最も不明確であることが多く見受けられる。

行き先のわからぬまま、「走れ!」と言われて短時間・短距離は走れても続く訳もない、走らずとも歩き始めても、いつ休憩していいのか?休憩時間はどれ位取れるのか?また歩き始めるにしても、どの位の距離を歩かねばならないのか?

あなた自身がそんな状態になっていないだろうか?あなたがリーダーであれば、あなたの部下はそんな心情でいるのではないだろうか?

 



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