「事象」とは、“物事”が起きているその様子。「言動」とは“人”が言う事、やっている事。
これら二つに対して、“なぜ?”を投げかける事で、「事象」や「言動」という“表面的”な物事の奥に隠された真実または本意を“想像する”ことになる。
この“想像する”ことは「仮説」と言う言葉に言い換えることが出来、改めて言うと、「事象や言動に対して“なぜ?”を投げかける事を仮説思考」となる。
「仮説思考習慣」の有効性は、「より効果的・効率的・スピーディーな手立てで物事に対処する」、「相手の言動を鵜呑みにしないで物事に対処する」と言う事や、「相手は明確に言わないけど、思いや願いをくみ取り、先回りして手を打つ」と言ったことである。
マネジメント職の人であれば、部下が担当する業務に於いて、出来ない理由を並べるという「言動」を生じていて、そして、「やりたく無いのか?」と聞けば、「やります」と言った場合、「じゃ、やってくれ、頑張れ」ではなく、“なぜ、やるとは言うもの、出来ない理由を言ってくるのか?”と考えて、部下の心理状態や思考を仮説列挙してみる。その上で、部下に仮説を基に質問し、出来ない理由を言う原因を突き止め、それに対するアドバイスや教育を施す。
飲食人であれば、スタッフが遅刻や欠勤と言う「事象」を起こしている場合、闇雲に「遅れるな!ちゃんとしろ!」という言葉を発している様であれば役割不足で、“なぜ、遅刻や欠勤をしているのか?”と考えて、それから想像される理由や原因を列挙した「仮説」を基に、周囲や本人に質問を行い、最たる理由や原因と思われる事を踏まえて、本人と話しをして「事象」の解決にあたってみる。
セールスパーソンであれば、お客様に何かお勧めするも、「要らない」という断りの「言動」を受けた場合、安易に「失礼しました」で引き下がるのではなく、“なぜ、断ったのか?”と考える。更に、注文内容と言う「事象」に着目し、“なぜ、これらの商品を注文したのか?”と考え、お客様の嗜好や利用動機を出来るだけ多く推察し、列挙した「仮説」を基に、再度、お客様におすすめの声掛けや説明を行ってみる。
「仮説」とは読んで字の如く、「仮の説」であるので、正しいとは限らないし、必ずしも一つでもない場合が多い。
仮説思考の際は出来るだけ多くの仮説を考える事が望ましく、その為には仮説化する物事に関する知識や情報の量が求められる。
その知識や情報は一般的に習得するには経験や時間に比例する。よって、若手よりベテランの方が仮説量が多く出せるのは自然な事。決して「仮説思考」の能力差ではない。
読者の中には既にお気付きの方がいらっしゃるだろうが、「仮説思考」は「観察する」という事から始まる。
「観察眼(能力)」とは、平たく言うと“気付く”という能力である。
持論であるが、この“気付く”は「先天的能力」であると言え、容易に身につくものではない。所謂、“センス”である。
多少言及するなら、“気付く”とは、統計的要素であり、多数又は一般的と言われる物事に比べて異なる物事を見つけ出す=気付くという事。
例えば、普段はこういう事象・言動であるが、今日はこうでいつもと異なる。他には、一般的にはこういった傾向(事象・言動)が見られるが、この人やこの場合はそうではなく、こうなっている、等。何かと対比する事で、その違いを見出す、と言う事。
「仮説思考」は一つの思考方法=スキルであるので、繰り返し繰り返し習慣化すれば自然と身につく。「観察する」も注意深く常日頃意識すれば出来る事であるが、観察している中で“気付く”という事だけは先述通り、なかなかどうして、訓練しようにも身につくのが難しい能力である。
だからして、結果的に能力の誤差は先天的な物が影響し、埋まらぬものが必然的に生じる、と私は考える。
これを悲観的に捉えるのか、楽観的に捉えるのか?
自分にはこの能力は無いが、違ったこういった能力がある、と捉える事が賢明と言える。