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感情コントロール出来てこそ、一流

自戒の念を込めて、「感情コントロール出来てこそ、一流」。

 

人間だからこそ、喜怒哀楽の感情が豊かである。

しかし、人の上に立つ者となれば、特に「怒り」を抑える事が出来なければ本物のリーダーにはなれない。

 

話し相手の言動が理由で“カッ”となり、怒りを抑えようと自制するもし切れず、語気が強くなったり、早口になってしまう。

予想していない事、突発的な事が生じ、動揺し、声が小さくなり、声が震える。

部下が喜んでいる事を些細な事だと思うが故に、笑顔と共に褒めてあげられない。

部下が落ち込んでいる時に共感出来ず、本気になって励ましてあげられない。

 

全ては自分が未熟ゆえに感情のコントロールが出来ない。

気持ちの余裕、時間の余裕、様々な事項の想定力、知識力等々の不足である。

それ以上に、「自分は正しい」、「自分はで出来ている」、「自分は解っている」等々、根底は“謙虚さの欠如”が自己制御が出来ていない大きな原因と言える。逆に言えば、自分に何らかの“おごり”があるという事。

 

“謙虚である”事が“自分の感情をコントロールできる”という事。

人として優れている人とは、お金持ちな人でも、有名な人でも、偉大な記録を残した人でもなく、“謙虚である人”。

 

 

作業は丸投げしても知識は己が学べ

私の知る限りだが、中小企業に経理担当をおく傾向が多く見られる。

社長入れて全部で3人の会社にも、別に経理担当者がいる、といった事例もある。

因みに、こういった会社でも決算の際には税理士ないしは会計士に依頼しており、決算時のみ士業に依頼し、月次は社内で処理しているパターンと、士業に月次で処理してもらっているが、社内に経理担当者をおいているパターンがある。

 

社長たちに「何故、経理担当者をおくのか?」と聞くと、「経理の事が解らない」、「処理が面倒くさい」等と返ってくる。

「何が解らないか?」と聞くと、解らないのではなく、解ろうとしていない、知ろうとしていないとしか捉えようのない答えが返ってくる。

「どう、処理が面倒くさいのか?」と聞くと、処理方法の説明を聞いているうちに、何だか複雑で難しいと受け取り、知ることを中断したような答えが返ってくる。

そして、殆どの社長は口をそろえて、「自分が経理をやるよりも、営業の方が重要でしょ?」と言う。

 

奇しくも、こういった会社で後日起きたことは、売上不振になり、経費削減が必然となった際に、パートの経理担当者の人件費に目が行き、切るに切れないジレンマが生じたり、経理担当者が権力を握った様な状態になり、資金移動や経費精算等に於いて、社長が指示しようにも言うとおりに動かず、機嫌を伺わねばならなくなったり、いきなり辞めると言い出し、引き継ぎもせずに出て行ってしまった、等々。

要は、“足元を見られた状態”になって、社長が苦労した、という結果になっている。

 

重要な事は、本タイトル通り、“作業”は人を雇ってやってもらえばいい、しかし、その人がやっている“作業”に関する経理の“知識”は士業から直接指導を受け、知る必要がある。

そもそも話であるが、事業を営むという事は利益を追求する事、平たく言うと、「お金を残す為にやる」という事なのだから、お金を稼ぐのが目的ではなく、稼いできたお金を原資に、払うべき物事に払い終えた後にいくら残ったか?までが社長の責任範囲である。

営業だけするなら単なるセールスパーソン。経営者と言うなら、稼いできたお金の流れの顛末まで「知っている」事。

 

因みに、私自身の経験を言うと、経営コンサルティング・飲食店プロデュース事業と別に、一時期4店舗の飲食店経営を行い、年商約5億円、PA含む従業員入れて50名の規模だったとき、経理担当者はゼロ。

店舗は店舗で出来るところまで処理し、月末締めの各種経理関係書類は10日に顧問税理士に提出し、同月の25日以降月末までに前月分の損益計算書を作成してもらっていた。最終的に私が取りまとめ役となり、顧問税理士に毎月提出していた。

出来るだけ簡素且つ迅速に処理できるよう、双方の役割分担の明確化と、それが実現する書式を設け、更には当社が使いやすい勘定科目名を用いた損益計算書(PL)作成と給与計算を行ってもらっていた。

 

私に言わせると、経理は「整理整頓」。

得たお金は「いつ」、「誰から」、「いくら」を明確にし、使ったお金は、「いつ」、「誰に」、「いくら」、「何のため」を明確にするだけ。

ポイントは「何のため」かで、これを専門用語で「勘定科目」と言う。一般的な「勘定科目」を使おうとするから難しく感じるだけ。難しいと思う勘定科目を自分が理解できるわかりやすい言葉に変えればそれでヨシ。

 

決して難しいものでもなく、面倒くさいものでもない。

行っている事業が結果的にどうなっているのか?を社長が把握する事は当然の事。

結果だけを聞かず、プロセスを知る事こそ、問題・課題が生じた時に、多種多様な対処がスピーディーに行える。

 

「経営者」というなら経営者に必要な知識を身に着ける事。作業はやらなくても構わない。

 

 

 

 

 

 

レジデータは無言のアンケート結果

レジデータに価値を見出しているかどうか?

レジのあらゆるデータは、お客様が無言で答えてくれた価値あるアンケート結果である。しかも全て定量的=数値として示される。

特に注目すべきは「FD比」、「客単価」、「商品出数」。「FD比」とは、客単価に占める食べ物と飲み物の売上比率でお通し料やチャージ、サービス料は含まない。

そしてこれらを時間帯別、曜日別、月別に分類する。

 

データをより良く活用するためにはレジの設定が重要となる。逆に言うと、最もダメな設定は、「フリー」のキーを設け、単価だけを入力して対処出来る状態。これでは、何の商品がいくらだったのか全く分からなくなる。

出来るだけ細かく設定する。例えば、昼営業と夜営業を行っていてアイドルタイムを設けているなら、同一商品名で同一単価であっても、「昼〇〇〇」と「夜〇〇〇」に分ける事で、同一商品であっても昼夜どちらの時間帯に出たかが判断できるようになる。これは私が知る限り、商品出数データは時間帯別設定が出来ないから、この様に設定する必要がある。

 

定量的データ=各種数値の変化は、実際の営業と照らし合わせ、客単価が増減していれば、増減している理由が明確でなければならない。例えば、接客上、口頭で何かを積極的におすすめした商品や期間があれば、当然的にその商品の出数は増加する傾向となる、という事である。

上記の様に、何か意図した営業活動することなく淡々と営業しているならば、そのデータは正に、お客様の無言のアンケート結果と言える。

データを見る際は大別すると3分類され、「数量順」、「売上順」、「粗利順」。最も重要なのは「数量順」。

商品の単価によって影響されるが、先ずは出数の多い順から並べてみる。当たり前の事だが、出数が多いという事は「支持された」、「好んでいる」という事であるが、考えるべきは、「何故、その商品が支持されたか?好まれたか?」である。

その際、「美味しいから」は除外する。何故なら、味覚は十人十色、目に見え無いことで“嗜好”なので、好きか嫌いかと言い換えられる。更に、下位の商品は「不味いから」支持されなかった、好まれなかった、となるであろうか?あなたの店は不味いものを意図的に出しているのだろうか?そんな訳はないと思う。だから、「美味い、不味い」を論じるべきでないのである。

「何故、その商品が支持されたか?好まれたか?」を考える事は、お客様がその商品を頼んだ動機=’心理’を考える事。言うなれば、データ分析はお客様の’心理’を読み解く事。よって、商品を考える時はお客様心理を「仮説化」するという事。

「仮説化」するからこそ、「仮説と検証」という言葉の通り、データとして定量的になっているので“振り返り”が可能となる。

 

レジデータ無しに記憶と感覚を頼りに行えば、あてずっぽうの一か八かと同様の行為で、且つ、属人的で共有しづらい事となる。個人店で現オーナーの一代限りの店としているならばそれで構わないが、法人事業で永続性や展開を考えているならば、レジデータは絶対必要なものである。

「傾向と対策」という言葉がある通り、傾向=現状=レジデータを的確に細かく把握する事無しに有効な対策は講じられない。逆に言うと、傾向=レジデータが適当であればある程、適当な対策しか講じられないとなる。

 

売上が下がった!何とかせねば!となった時、口コミサイトや集客サイトに掲載するか否かを考える前に、レジに存在する、お客さまからの無言のアンケート=お客様様から店へのメッセージを深く読み解くべきである。

無言でこそあるものの、それらのデータはお客様がワザワザ足を運んで“来て”いただき、“直接”置いて行かれたもの。それ以上に価値のあるものがあるでしょうか?

 

 

 

年間カレンダー作成のススメ

飲食店現場にはサプライヤーの納品予定を示すカレンダーが存在している。

これを見ながら、市場が休みの時は普段より多めに発注し“段取り”を組む。

 

こうやって、カレンダーを見て先を踏まえて”段取り”を組むことがここまでになっている事が多い。

違う言い方をすれば、多くは人の記憶に依存し、“慣れ”で事を運んでいる事が多い。

よって、軸となる人が忘れていたり、遅れて言いだせば慌ただしく事を対処する事になる。

 

「記憶」ではなく「記録」し、「個々」ではなく「共有」し、「行き当たりばったり」ではなく「計画」するために、出来る限りのことをカレンダーに書き込む事を強くオススメする。

・店のミーティング

・店長や上位者との面談

・棚卸

・グランドメニュー替え

・季節または月毎のおすすめメニュー

・新宴会メニュー

・来店、販売促進活動

・レクリエーション

等々、ありとあらゆる店で生じる事、店がやらねばならない事を書き出す。

料理に携わる人であれば食材の旬はおおよそ把握しているだろう、オープンして1年以上経過している店であれば、曜日や月の傾向は見えてきているだろう、そうであればあるほど、様々な取り組みを“段取り”良く組み立てられるであろう。

 

わかりやすく言うと、何かを実行する日から逆算して、実行する事が円滑に運ぶよう、それに関わる物事の日程を組み立てるのである。

例えば、10月1日から秋を感じていただくグランドメニューを導入するとして、

・新メニューブックの納品日と入稿日

・新メニューの試作会・試食会日

・新メニューに用いる食器の手配

・新メニューお知らせの宣伝告知配信・発送日とその作成期間

等々、上記を考えると遅くても7月初旬から着手しておかなければ余裕なくドタバタで事を進める事になる。これは、7月からの夏メニューを実行していたとすれば、夏メニュー実行した直後に、もう秋のメニューの事を動き始めるという実態である。

こういった事を実行している店なら当然の事としてお分かりの通り、年4回グランドメニューを改定しようと思うなら、息つく暇なく、次から次へと先々の手を打つ予定になる。

 

多くの店舗で陥りがちなのは、感覚的に何かをしなければいけないとわかっていても具体的日程が不明確が為にズルズルと先延ばしになり、いよいよ期限が迫ってから慌ててやり始める状態。

これでは、「やる事」に意識が持って行かれ、肝心の「やる事」の“質”が置き去りになってしまっている。

こんなプロセスだと、やっても大した効果や結果が出ず、「やっても無駄」と言い出し、「やる事」さえ止めてしまう事となる。

止めてしまうから、店が良くなる訳なく、悪循環に陥る。

 

重要な事は、「やる事」ではなく、「やる事」の“内容”=“質”に意識を集中し、“段取り”よく前もって考えるのである。

「やる事」はカレンダーに書き込み、「やる事」を“やろう”と考える必要が無い状態にするのである。

 

 

 

 

幹部が代替案を示せないのは社長が原因

「ダメだ」、「良くない」、「違う」等々、誰かの意見に対して否定する事は容易である。

しかし、「代替案」ナシに否定だけする事は幹部として慎むべきであると認識しているだけに否定すること自体が憚られる。

 

代替案が出せないのは何故だろうか?

意見者よりも知識や情報が不足しているからなのか?思考力が不足しているからなのか?当事者意識が無いからなのか?

 

中小企業で生じがちなのは会議における社長のワンマンショー。

幹部は遠慮があって言わないと言うよりも、社長よりも先述通り、知識や情報が大きく欠落又は不足している事に加えて思考していない事から、幹部は代替案はおろか、反論も出来ず何も言わない言えない。しかし、感覚的に“否定”を感じる。

逆に言うと、社長は幹部が不出来だと嘆くのではなく、社長が経験した事や持っている人脈等から見聞きした同一の知識や情報を幹部は持っていない、という前提違いを強く認識すべきである。

それを、「勉強しろ!」と切って捨てるのは酷で、むしろ、幹部にそういった経験をさせていない自分自身を省みるべきである。

 

社長は常に会社を良くしようと考えているので行動的で経費面でも自由がきくのであちこち行って色々な人と積極的に会い、色々な物を見て知る。それが有意義で価値があると気付くので更に拍車がかかる。そして新たに得たことを基に色々考えはじめる。

一方、幹部は大抵“守り”と言うべく、社内を見ていて行動範囲も接触人物も狭くなりがちである。聞くことは部下の愚痴や不平不満、そして様々なトラブルや問題。考える事の殆ど多くは現実の

これが中小企業に起きる社長と幹部の大きなかい離の原因である。

 

「幹部なんだから、自覚して自分からもっと勉強しろ!」と怒っても仕方がない。

幹部を教育するのも社長の重要な役割の一つなので、言い換えれば、役割を放棄して相手に押し付けて怒っている状態。

部下が勝手に望むように育つ事など無い、と思って自ら育てる他ない。

 

行動的な社長になればなるほど、この状態に陥る。

運よく優れたNo.2に出会えたら、会社は発展間違いなしであるが、それは宝くじの一等当選よりも確率が低い事。

 

立場や年齢が上の人に本音を言わぬが人の常

上司に対して“意見する”という事は部下にとって容易ではない、という事を強く認識しておくべきである。

あなたが中間管理職であればお分かりの通り、あなたが社長に“意見する”事と同様の心理である。

ましてや、“反論”や“異論”となれば躊躇するのが当然で、これを強く認識しておかなければ「裸の王様」に陥るのである。

 

社長はじめ、リーダーは物事を“判断”するのが役割である。

しかし、“判断”に際して、「感情的になる」、「言葉少なく断ずる」等、言い方を間違えると、それに関わる人達は「諦め」、「呆れ」、「投げ槍」等々、失望ややる気を失せる事になってしまう。

 

例えば新商品の試食会を開催しているとして、結論的にダメな物はダメで要変更、再構築なのだが、それを「マズイ!こんなものはダメだ!」で断じてしまう状況。

提案側に意図や想い考えがあってそれをつくったと考えられないだろうか?それとも単に手抜きのやっつけ仕事なのだろうか?

後者だと判断できるなら、先述の断じる方法で構わない。しかし、前者ならばリーダーであるあなたがそれらを「聞き出す」必要がある。

あなたの怒りや呆れ、失望と言う感情を抑え、相手が話しやすくなる雰囲気をつくり、丁寧に本心で提案側の意図や想い考えを「聞き出す」のである。

 

あなたがリーダーとしてワンマンではなく、皆の意見や考えを取り入れ、全員参加型でフラットなチームや組織を目指す、と言うのであれば、「どんどん言ってくれ!」ではなく、どんどんあなたから「どうしてなのか?」、「何故なのか?」、「どんな考えなのか?」等々、あなたから「聞き出す」事を積極的に行う必要がある。

念の為言うが、「聞き出す」事をし、返す刀で否定や反論してはいけない。

それをしてしまうと、「聞き出す」事は単なるポーズでしかないと相手は認識し、本音を言わなくなってしまう。

 

もし、あなたが全員参加型でフラットなチームや組織を目指しているにも関わらず、部下から意見やアイデアが出ず、それを部下が無能で部下が原因だというのは早合点である。

そうではなく、部下をその様な状態に追い込んでいるあなたの無能無知が原因かもしれないと考えるべきである。

 

 

安請け合いの兄貴肌は無用の存在

中間管理職は社長と社員の板挟み。

下から不平不満や愚痴を聞き、上からは指示命令や怒りを受ける。

これらを聞くのが中間管理職の仕事の一つと言えば一つだが、聞いて宥め透かして終わっていては事態は一向に改善せず、両社から反発や怒りを買って自らの立場が悪くなるだけである。

しかも、下に対して“兄貴肌”や“上司面”して対処しているなら、最悪である。

何故なら、下は現状を改善要求しており、改善された「結果」を求めているのであって、不平不満や愚痴を「聞いてもらう」事を望んでいる訳では決してない。

 

自らの立場の誇示と保身の為だけの“兄貴肌”や“上司面”対処は「言葉」で示すのではなく、自らの「行動」で示すのである。

具体的には、下からの不平不満や愚痴の“根本的原因”を探り出し、それを“解決する為の方法論”を考え出す。方法論が自分の能力で至らなければ、専門家や士業に知恵を借りればいい。借りるにしても丸投げにならないよう、これを機に基礎知識を身に着けるべく勉強すべきであろう。さもないと、上からも下からも必要とされるのは専門家か士業となり、あなたではなくなってしまう。

そして専門家や士業から示された解決案を社長と社員両方の目線で捉え、両者にとって意味のあるものかどうかを考えねばならない。その上で、上である経営者や社長に示し“判断”してもらう。

判断してもらうにも、1案だけを示すのではなく、2~3案用意し、この案の長所短所、この案の長所短所等、それぞれの違いを明確にし、上がいい意味で“悩む”材料を示すことが必要である。

 

誤解している中間管理職はこれが社長の仕事と思っている事が多い。

もし、あなたが役員なら、これらは確実にあなたの仕事である。もし、部長と言うなら、本来的には役員の仕事であるが、役員が役割を果たさず、下が疲弊しやる気を失っているのであれば、あなたがやるべきだろう。

言い方を変えると、会社の規則やルールが未整備の為に生じる事項は役員=経営者なのだから、それらを対処する必要がある。規則やルールが存在する事項とは別の問題課題であれば、あなた自身が解決すべく自学自習し、下に“教える”必要がある。

 

ハイハイと聞いて言って“言葉”だけで「対処」するだけの兄貴肌や上司面は無用である。必要なのは“行動”し「解決する」兄貴や上司である。

現場でワーワー言って終わらすダメ行為

社長やマネジメント者が現場に行って、これ見よがしに現場での不具合や問題課題を指摘する事は愚の骨頂である。

やってる者は自分の役割を果たしているつもりであろうが、それは全く無知の独りよがりである。

 

何がダメなのかと言うと、

・言って済ませる=言いっぱなしで、言った側も言われた側もその場限りのその場しのぎで終わってしまう

・当事者間だけの事として終える=他店にも同一、類似事項が生じているかもしれないにも関わらず、共有できない。中間管理者への報告が無ければ、知らずのまま終わってしまう

要は「記録」に変えなければ意味も価値もない。「記録」すれば、言った側も言われた側も振り返れるし、他店や他社とも共有が可能である。

「記録する」という事=「書く事」が面倒くさいから、言って済ませるという安直な行為で済ませ、役割を果たした気になって終えてしまうのである。

 

更に、指摘事項の全てはその場で指摘するのが賢明か正しいか熟考する必要もある。

決して基準やルールを一度も示したことが無い物事を指摘してはならない。指摘内容によっては、基準やルールが存在しないが為に、指摘する人の個人尺度で指摘している事があるかも知れない。

そうなった場合、指摘される側にとってみれば、「社長はこう言うが、マネージャーはこう言う」と、違いを受け止め困惑するばかり。基準やルールの欠落は社長やマネジメント者の責任。

 

違う言い方をすると、指摘事項を発見すれば、それは基準やルールの有無を確認する事にもなり、無い場合は現場で指摘することなく、基準やルールを設けた上で後に指摘する必要がある。勿論、基準やルールは明文化する。

明文化したものは「読んでおけ!」で伝えた気になってはいけない。一つ一つ丁寧に読み合わせながら、内容によっては、何故、その様な基準やルールになったのかを説明し、理解納得を得る必要がある。

 

“面倒くさい”と思う心を社長を筆頭にマネジメント者が抱けば、その皺寄せは現場へと向けられる。

上位者の怠慢が原因で現場には次から次へと“面倒くさい”が吹き溜まり、険悪な空気感が充満する。

険悪な空気感は人の行動に現れ、上位者が「出来ていない!」と指摘し、悪循環に陥る。

 

現場での不具合や問題課題は現場の問題ではなく、社長を筆頭にマネジメント者の能力の問題である。

 

 

 

 

無責任な「任せた!」は“害”しか生まない

マネジメントの要領の一つに「任せる」事があるのは事実だが、これを錯誤していると“任せた側”は「どうなっているんだ!?」と怒りが湧き、“任された側”は「無茶言うよな」と呆れややる気を無くす。

 

そもそも、「任せる」は“任せる側”の権限なので、“任される側”に責任は無い。

分かりやすく言うと、社長やリーダーや店長という上位者が“任せる側”として行う事なので、その人たちに全ての責任がある。

その人たちが

①“任される側”の能力を理解・把握していない

②任せる事の内容を“任せる側”が理解・把握していない

この2つのどちらか、または両方の状態にも関わらず、「任せた!」となるとお互いにとって“害”や“不幸”しか生まない。

 

「任せた!」で“任される側”の「成長の機会を与えている」等と“任せる側”が思うこと自体、大きな錯誤。もし、“任せる側”が自分で対処したり自学するのが面倒くさい、たいへんだと思う事を丸投げで行っているなら、上位者として失格である。

もう一度言う、“任される側”には一切の責任は無く、“任せる側”のみの責任である。

 

“任せる側”が「任せた!」という前に行うべき事は先述①②の真逆である。

ア)“任される側”の性格・能力を把握する

イ)任せる事の内容を“任せる側”が多少なりとも理解・把握する

 

あなたは部下より優れているから上位者であって、あなたが出来ない事、知らない事、考えられない事を部下が出来ると思う事が錯誤である。

悲しいかな、放っておいても向上心高く自学し、あなたが知らない事を出来る部下が居る可能性は中小企業に於いてはゼロと思うべきである。もし、「居る!」と言うなら、あなたはア)が出来ている証拠なので、適切な「任せた!」としている事だろう。

 

どのレベルの店長があなたの言う店長?

「店長によって店の売上は簡単に上がりも下がりもする」と言う言葉を耳にしたことはあるだろうか?

これは事実で、全く同感である。

 

では、この言葉を分解して理解すると、店長の役割が見えてくる。

端的に言うと、「まわす」だけの店長か、「売上や利益を上げる」店長か、の違いである。

 

前者はシフトを組み、商材を発注し、注文が入れば商品をつくり、そして商品を出し下げし、会計してお見送りする。これらの一連のオペレーションを滞りなく、円滑に行う事。

後者は前者に加え、売上=客数×客単価として捉えて、両者またはどちらか一方を上げるための策を“営業外”で考え、そして“営業中”に実行する。

 

組織や会社のレベル感は店長を見ればよくわかる。

店長はおろか、本部員と言われる統括者やSVでさえ、前者能力しかない組織や会社も実在する。

たちが悪いのは、その本部員が前者と後者の間の中途半端な知識しか無い場合、利益を上げるために現場の負荷が掛かることを要求する策のみを講じ実行し、売上を上げる為に安易に値引き・割引のクーポン配布の目先の付け焼刃施策を連発させる。

百歩譲って、店長がこのレベル感であっても仕方がない。しかし、本部員がこの程度であれば、たかが知れている。逆を言うと、本部員と言うならば、後者の様々な具体的方法論を熟知し、失敗も成功も豊富に経験しているべきであろう。

 

前者能力を以て店長と定義するなら、それはそれで良く、それ以上の事を本部員が賄えばいい。後者能力を以て店長とするなら、それ相当の時間を掛けて教え、実行させ、検証させの所謂、“PDCA”サイクルを繰り返す事。

最悪な組織・会社は、店長に前者以上の能力を当然的に求めるも、後者能力の育成環境や機会を与えず、「自分で勉強しろ!」と上司らしいもっともな言葉で、自分の勉強不足や無知を隠ぺいする本部員が存在する。