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店の幹部と店に行けば内情が直ぐわかる

私は仕事柄、クライアントの店舗にクライアント社長や幹部と訪問する事が多い。

行けばクライアントの社内事情が透けて見えてくる。

 

予約も予告もせずにいきなりいくと、「いらっしゃいませぇ」と語尾が弱まりながら、驚きも混じり、こおばった表情で出迎える。そして、「どうしたんですか急に?」、「何かあったのですか?」等々、やたらと詮索する質問をしてくる。更に、一般客が居るにも関わらず、我々の席を離れようとせず、周囲に注意を払う事も怠る。挙句、新入アルバイトのご挨拶大会が開始される。

こういった事象が起きる会社は

・現場と本部に距離や溝がある

・現場は疲弊している

・現場に緊張感や張り合いはなくダラけている

・社長筆頭に幹部が偉そうにしている

・現場は本部の悪口・批判が尽きない

等々、読者の想像通りの体質の組織である。

 

一方、真逆組織の現場に行った際に起きる事象は、一般のお客様と何の隔たり無く同等の対応をする(むしろ、一般客を優先する)。よって、先述事項と真逆の現場と本部の関係である。

 

「事件は現場で起きる」の名句通り、店舗を持つ会社なり組織は現場で起きている事実が全てで、その事象がその会社や組織の内情を如実に表している。

社長や幹部が社外の人にどれ程、何をどう言おうが、「現場の事実が全ての事実」である。

 

「どう思う?」「意見が欲しい」が言えないダメリーダー

自分の想いや考えを持つことはリーダーにとって必要不可欠である。

しかし、一方的な主張や思い込みは“裸の王様”、もしくは“マスターベーション”でしかない。

 

一方的に主張したり思い込む場合は大きく2パターンあり、一つは“俺がリーダーだから、俺に従え”という「独裁者」タイプと“俺がリーダーだから、俺がブレてはならぬ”という「自己陶酔」タイプ。

両者とも始末が悪い。

 

リーダーに必要なのは、統率力や物事をまとめる力。

よって、部下たちの想いや考えを全く把握せずして、これを行う事は不可能である。

しかし、先述の両者にはこれが出来ていない。

 

リーダーである自分の想いや考えに「間違いはない」と思い込んでいたり、部下なんぞに俺の想い考えを「意見されたくない」という傲慢な心、部下の想いや考えなど「大したことない」という見下した心。

そういったリーダーとして不適格な心が部下に対して「どう思う?」「意見を聞かせてくれ」と言えなくさせる。

 

こういったリーダーの下に存在する人材はそれに従うその程度の能力、これを辟易する人材はその人の下を去っているだろう。

ここに悪循環が始まり、こういったリーダーが存在してしまう結果になる。

 

部下であれ、他人であれ、自分の考えに対する意見を聞くことは“謙虚な心”があれば素直に聞ける。しかし、聞くに際して「我慢」や「嫌気」を以て臨むのであれば、それが欠落している証拠。

「他人の意見に耳を傾ける」という事は自分が本当に「謙虚」、「素直」かどうかを確認する事。

 

意見を聞くことで相手の考えを知ることが出来る。自分の想い考えを持っているのか、迎合するだけなのか、無関心なのか、等々。

聞いた意見を採用しなければならない訳は無い、聞いて損も無駄も無い。

もし、「無駄だ!」と言うならば、あなたがダメリーダーが証拠に先述通り、大した人材が居ないからそう思うのである。

 

仕事を「こなす」と「蓄える」は大違い

24時間365日は誰にとっても平等に与えられている。

しかし、人によって誤差が生じるのは何か?

 

同じ会社や店で殆ど同じ仕事をしている人が2人いるとして、共に意欲旺盛に仕事するも、1人は“こなす人”、1人は“蓄える人”だとしたら、先に雲泥の差が生じる。

言い換えると、風呂桶にお湯をはっている状態として、両者とも仕事意欲旺盛を勢いよく蛇口からお湯が出ているとして、前者は「栓」を閉めないでいる。後者は「栓」を閉めている。

一見すると、両社は同量のお湯が勢いよく注ぎ込まれているが、結果は違う。

 

前者は仕事が終われば気持ちよく、「お疲れ~!」とキレイサッパリその日を終える。

後者は日々の仕事で学んだことや失敗したこと、悔しかったことを書き留め、気づいたことを調べたり、本を買って学んだり。

前者は「記憶」に頼り、「感覚的」。

後者は「記録」に頼り、「論理的」。

 

私が知る限り、飲食店繁盛店はコツコツ地道に小さなことを“積み重ねる”。

「記録」にすることで、働く仲間と良いことも悪い事も「共有」する。

「記録」になっているから、“過去”を振り返り、「具体的」に何が良かったのか悪かったのか、“先”に活かす。

言った言ってない、伝えた伝えてない、なんて事で信頼関係を損ねたり、無駄な時間を取らぬよう、「記録」する。

季節指数や曜日指数を個人毎に「感覚的」に捉えぬよう、データとして管理し、それを踏まえて販促計画を立てる。

1年は12か月なので、何年も営業しているし、季節も毎年同様に変化するので、昨年のいつ、どんなメニューだったか?どんなフェアやイベントをやったか?全部「記録」している。だから、それが上手くいったのか外れたのかをデータで「記録」しているので、今年はこうしよう!と昨年よりも更に良い考えを出そうとする。

 

あなたは「こなし」て来ましたか?「蓄えて」来ましたか?

「蓄えて」来た、と言うならば、あなたの「蓄え」を人に伝えて示してください。

出来るなら、それを文字にして「可視化」してください。

「蓄え」があるなら、人はあなたを頼り、色々と聞いてくるでしょう。

「蓄え」があるなら、あなた自身も色々な事に対応出来たり、新たなチャレンジをしようと思うでしょう。

部下の返事は大抵カラ返事と思え

「はい!」と返事した、あなたの部下は、あなたの言っている事の半分も理解できていないまま、「はい!」と返事していると思うべきである。

もし、あなたが部下に大して普段から指示・命令が多かったり、部下が自ら提言や意見を述べる事が殆どないなら、部下の「はい!」は“単なる返事”で、「わかりました」の意味は全く含まれていないと言える。

もし、あなたが、部下の心理や能力を的確に把握しており、その上、あなたが話し上手で説明上手と自他共に認められているのであれば、その限りではない。

よって、恐らく殆ど多くのリーダー・マネージャーは「はい!」を鵜呑みにせずにおくべきである。

実際に、あなたが話し伝えたことを確認する意味で部下に質問をしてみるとよい。そうすれば、返ってきた内容が相手が理解した内容なので良くわかる。

 

一番やってはイケないのは、「理解できていないのに返事するな!」である。

「はい!」と返事させたのはあなたである。しかも、無理やり。

 

部下はあなたほど有能ではない。あなたが知っている事を知っている訳ではない。あなたが考えられることを考えられる訳ではない。あなたが経験してきたことを経験している訳ではない。あなたの人脈や交友関係と同様の人間関係がある訳ではない。

もし、社長と部下の間で話すなら、その両者のバックグラウンドの差は歴然なので、話す社長自身が相当話を分かりやすく、且つ、部下が理解しうる言葉で話さなければならない。

 

そうなると、「面倒くさい」、「たいへんだ」、「何で俺が」、「お前がもっと勉強しろ」等々、見事に部下に責任転嫁して“パワハラ”発令である。

部下はあなたを映す鏡。

部下の不出来はあなたの不出来。

常日頃から育ててないから、教えていないから、カラ返事「はい!」を連発する。

上司面して抑え込んでるから、カラ返事「はい!」を連発する。

 

 

 

 

「ウマい」「マズイ」言っても仕方がない

自店試食会や店舗視察時に、「ウマい」「マズイ」で評価し終えるのであれば、それは素人同然である。

「ウマい」「マズイ」は個人の味覚思考でしかなく、その商品が個人的に「好き」「嫌い」を言及している事になる。

 

アリがちなのは、繁盛店視察に行って、「これマズイ!」、「なんでこんなマズイ物を出している店が流行るんだ?」と年配の飲食店経営者は言う。

 

重要な事は、今どき繁盛店であれ、老舗店であれ、お客様が支持している店の商品が「何故、支持されてるのか?」を「ウマい、マズイ」抜きで捉える事である。

例えば、「盛り付けや食器の使い方が上手」、「価格に対するお値打ち感がある」、「ありそうで無かった組み合わせ」等々、お客様が反応している、喜んでいる、支持している点を考え出すのである。

 

ナショナルチェーン店の商品を「マズイ」と言う人が居る。

では何故、ナショナルチェーン店はナショナルチェーン店なのか?

「マズイ」ものを出しているなら、店を沢山出せる訳がないのではないだろうか?

 

あなたの個人的な味覚思考はあなたが身銭で支払う商品に対して言えばいい。

「味覚」は目に見えない。千差万別である。だから「ウマい」「マズイ」に正解も定義も無い。

考えた商品を食べてもらいたいターゲット(客層)が支持してくれるかどうか?を考えればいい。

だから、「視覚」「聴覚」に響く目に見えて聞こえる事に注力すべきなのである。

 

飲食人を自認するなら、「ウマい」「マズイ」言うことなく、商品を表現・評価出来るべきだ。

 

 

 

教えていないことは出来る訳がない

「任せたよ!」といって部下に頼むことは上に立つ人にとって重要な事である。

しかし、任された相手が任せる事を出来るかどうかを判断推測せずして「任せたよ!」は大間違い。

 

そもそも、部下はあなたと能力が違う、経験が違う、知識・技術が違う、だから部下なので、あなたが知っている事、出来る事を部下が出来ると思ってはいけない。

あなたは自学自習して今日があるだろうが、それは他よりも秀でた努力・能力を備えていたからそうなったと思うべきである。

表題通り、部下や依頼する相手は「教えていないことは出来る訳がない」のである。

 

いやいや、「自学自習すべきでしょ」、「依頼する事でキッカケを与えれば何とかするでしょ」、「学校じゃないんだから」と言いたいでしょうが、そんな事は起きてもごく一部の人にのみ。

むしろ、あなたが「教える」事を“面倒くさい”、“時間が無い”、“しんどい”と思っているのが本当で、それを体よく「任せた」、「頼んだ」といってるのではないだろうか?

 

「教える」事無しに、部下が指示依頼を対処してくれるなら、あなたは恵まれている、運がいい。そんな希少な部下がいるのだから。逆を言うと、あなたは指示依頼しただけで、あなたは部下を育ててる訳ではない。

それが証拠に、その部下が異動となろうものなら、あなたは強く抵抗するのではないだろうか?何故なら、あなたにとって便利・都合がいいのだから。

 

「自分で勝手に勉強する」人を“プラス人財”と言うならば、「勉強する機会を与えている」にも関わらず、勉強しない人は“マイナス人財”、中小企業に多く存在するのは「自分で勝手に勉強しないけど、勉強機会を与える」と勉強する“プラマイゼロ人財”と認識すべきである。

だから、部下を抱えるあなたが“面倒くさい”等と思わず、「勉強機会を与える」=「教える」事をする必要があるのである。

 

 

 

「味覚」が料理の評価順位1位ではない

「美味しい」を可視化するのは不可能と言える。

「美味しい」を定義するのは不可能と言える。

「美味しい」という「味覚」は飲食店に於いて重要であるが、それが評価順位1位ではない。

 

飲食店の料理や飲物=商品の評価順位は、「視覚」⇒「聴覚」⇒「味覚」である。

 

「視覚」とは「見た目」であり、商品の盛り付けや使用している食器、量や彩もである。

「聴覚」とは「聞こえ」であり、商品のシズル感である、“ジュウジュウ”、“パチパチ”、店員による「商品説明」や「おすすめ」、更には「口コミ」も含む。

 

「視覚」と「聴覚」をおさえたのがTVや雑誌、WEBなどの媒体である。

今やWEB上でも動画の有効性が知られている通り、「視覚」を動画で表現しつつ、「聴覚」に訴えかける手法はとても効果的である。

逆を言うと、いくら店主が「美味しい」と自信を持っていても、「見た目」が何の変哲もないありふれた状態であったり、「聞こえ」が何もなく、店員はおすすめも説明もしなければ、お客様が「味覚」だけで、それを「美味しい」と判断する事はほぼ不可能である。

 

某TV番組の“芸能人格付け”が示す通り、「味覚」とは千差万別である。

「高い」から「美味しい」、「有名店、有名シェフ」だから「美味しい」、「豪華に盛り付けてある」から「美味しい」等々、正に「視覚」と「聴覚」で以て「味覚」以前に商品判断をしている顕著な事例である。

 

「視覚」、「聴覚」、「味覚」いずれも“感覚”である。

よって、一つの正解は無い。

しかし、“時流”はある。

それぞれの時代に、それぞれの年代が評価・支持する“感覚”。

これを如何に捉えるのか?

この点が一つの繁盛に必要な条件である。

 

経営者感覚を持つという事

「経営者感覚を持て!」と言われたり、聞いたことはあるだろうか?

これってどういうことなのか?

物事を鳥瞰・俯瞰・大局観で見る事?

採算を見積もって考える事?

無理・無駄が無いか考える事?

どれも間違いではないが正解でもない。

 

「経営者感覚を持つ」という事は、「一夜にして全財産が没収され、地位も名誉も無くなる事を想像する事」。

要は、多くの中小企業の場合、代表者は会社の借入を個人保証しているので、その金銭的リスクを負うという事。

 

例えるなら、ギャンブルで同額の自分のお金で掛けるのと、他人のお金で掛けるのでは、心理的に同一だろうか、異なるだろうか?

前者が経営者感覚、後者が従業員感覚。

 

自分のお金で掛けるに際し、他人のお金で掛ける時の違いは何だろうか?

それに掛ける事が最も当たる確率が高いのだろうか?と調べたり熟考するのではないだろうか?

全部無くなってしまった時の事を考え、納得いく後悔をしようと真剣に考え、可能な限り全力を尽くすのではないだろうか?

他人に勧められるがままに掛けるのではなく、自分自身の判断で掛けようとするのではないだろうか?

 

あなたの役職名が「取締役」となっているにも関わらず、先述の思考無く、日常的に従事しているなら、あなたは「名ばかり役員」であって、実態は単なる一従業員である。

「経営者の立場にならないとわからない」と言っているあなたは想像力が乏しい。

 

「経営者感覚を持つ」という事は、日々、地道に努力を積み重ね、先に願わぬ結果が起きようとも、それを悔やむことの無い、自分自身が納得できる日々を全力で過ごすという事。

 

 

 

鈍感さやヌケているところがある方がいい

リーダーとなれば人を従えて先頭に立つ、それ故に完全無欠で聖人君子的な像をイメージしがちかも知れない。

名経営者の著書等を読むと、強くこういった印象を受ける。

このイメージが間違えている訳ではなく、この通りになればいいのだが、なかなかどうして、こうなるのは難しいものである。

私が思うのは、ここまでの’The leader’でなくても、歴史上の人物含め、過去にはこのタイプのリーダーがリーダーとして描かれてきて、先頭に立ち、強い統率力を以て“引っ張って”来たに違いない。

 

このタイプのリーダーの「欠点」という言い方を敢えてするならば、「ついて行く人が限られてしまう」、という事。

リーダーは全く悪気も押し付けも無いのだが、ついて行く人が自ら勝手に「自分はダメだ、出来ない」と考えてしまい、脱落ないしは諦めてしまう。

この事象で懸念する事は、ついて行く人が「自己嫌悪」や「挫折感」を味わってしまう事。

リーダーが強すぎるために生じる表裏一体のマイナス効果。

 

私の周囲のリーダーにはこうではないタイプのリーダーが多い。

例えば、常に「心配だ」、「不安だ」、「大丈夫かな?」、「どうなるだろう?」等とネガティブワードを口にして、その周囲がイラつくほど「意思決定」に長時間要するリーダー。

他にも、複数の飲食店経営をしているにも関わらず、現場経験は一切なく、自分で料理を作ったことがなく、唯一、カップラーメンだけなら作れるというリーダー。

等々。明らかに冒頭のタイプのリーダーとは全く異なったリーダーである。

 

こういったリーダーの組織で起きる事は、部下たちがリーダーの弱点を克服すべく、率先して動き、考え、提言する。

大げさに言えば、勝手に部下が育つのだ。

部下たちに肩を担がれ、時には彼らに激励され、引っ張ってもらっている様なリーダー。

 

友人経営者が講話の中で上手にこの異なるリーダー像を表現している。

「少年ジャンプに描かれているリーダー・ヒーロー像は時代によって大きく異なります」、「昭和世代は完全無欠、先頭に立つリーダー・ヒーローが描かれていました、がしかし、平成世代は欠落多数の支えてあげなきゃいけないリーダー・ヒーローが描かれています」。

どちらも、“仲間の友情”、“勇気・愛・正義”、“一つの事を成し遂げる”といったことを描いているのだが、その主人公のキャラクター性が真逆と言っていい。

 

「鶏と卵」の関係が如く、部下の価値観や思考の変化がリーダーを変化させているのか、新たなリーダーの出現にそれを慕う部下が集まるのか?

どちらが「正解」という事は無い。

思う事は、“強い”リーダーであることは必要で、それは“自分に強い”リーダーであって、“他人(部下)に強いリーダーは”時代に求められていない。

意図してもしなくても、完全無欠ではなく、見て見ぬふり、無知さや鈍感さを自覚した上で部下に任せ、人間味を感じるよう間抜けさや少々のチョンボがあるリーダーの方が時代に適している。

誰もが変わる訳じゃない

組織に於いても個人に於いても、停滞・停止は回避すべき事。

これを知っているリーダーは自ら学び自ら変化・進化を実行する。そして自分の組織やチームに対しても何がしかの変化・進化をもたらそうと実行する。リーダーとしては当然の事である。

しかし、結論から言うと、部下・メンバーの誰もが変わる訳ではないという事実を認識した上で取り組まなければ、必要以上に時間や手間取り、更に上手く事が運ばぬ状態にリーダー自身が自信を失い、迷いはじめ、ついて行こうとしている人たちにも悪影響が及ぶ。

 

「変わる」という事は「考えが変わる」と「行動が変わる」、そして「結果が変わる」3つの「変わる」段階があるが、長く組織やチームに属している人の中にスタートとなる「考えを変えようとしない」という人がしばしば存在する。

この様な人たちは目に見えて抵抗や否定・批判をするので、存在していることで周囲に悪影響を及ぼすと容易に理解できるので、陥りがちなのは、この人たちを何とか「変えよう」と時間・労力を払う。

しかし、この行為は全くの無駄である。平たく言うと、“放っておけばいい”のである。「変わろう」としている人に注力し前進あるのみ。

但し、誤解してはいけないのが、「変えようとしない」人たちに、「変わろうとしない」からと言って、「変わろうとする」人たちに伝えている事を「変えようとしない」人たちに伝えないという不公平な言動をリーダーは取ってはいけない。

 

「変わらない」と「変わろうとしない」は全く違う。

前者は取り組んでるにも関わらず以前の状態。後者は取り組むこと自体をしていない。

リーダーが注意しておかねばならないのは、本タイトル通り、「誰もが変わる訳じゃない」という事。

正確に言うと、「誰もが変われる訳じゃなく、誰もが同一速度で変われる訳でもない」という事。

 

人には人それぞれの能力がある。

先述通り、「変わる」にも時間差は当然生じる。それ以上に、時間と関係なく「変わる」3段階の中でも最も難しい、「行動が変わる」を実現出来る人は、ごく少数であるという事。

違う言い方和すると、どれだけ「考え方が変わり」、「発する言葉も変わり」、「変わろう」と一所懸命取り組んでいても「行動が変わる」事が出来ない人が多いという事。

「変化する」を「変化できるという能力」と捉えるべきなのである。

もう一度言うと、「人にはひとそれぞれの能力があり、変化できるという能力を持っている人と、もっていない人が存在する」。

 

リーダーは「変化できる能力がある人」を見極め、「変化」に導くことが肝要である。