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部下や社員は自分を映す鏡

社員や部下に対して呆れたり、嘆いたりする事が日常茶飯事ならば、それはリーダーであるあなた自身が未熟なために、そうなっていると認識すべきである。

中小企業で良く聞くリーダーのセリフは「そんな事も知らないのか!?」、「そんな事当たり前だろ!?」

リーダーのあなたは、“そんな事を知っている”、“そんな事当たり前”だからこそ、同僚よりも能力が秀でていると認められ、リーダーに抜擢されているのではないだろうか?

あなたの部下や社員はあなたと一緒に働くまで、どんな環境でどんな教育を受け、どんな事を学んできたのか把握しているだろうか?把握せずとも、あなたと同一であると考えられるのだろうか?

あなたの部下や社員の不出来はあなたの不出来。

“大人なんだから”、“社会人なんだから”、“給料もらっているのだから”、言われなくても何事も自発的に行うのが当然でしょ!?と考える事は間違えではないが、大企業であれ、中小企業であれ、このセリフはリーダーの定型句。

この定型句が消えないという事は、あなたがリーダーとしての「育てる」、「気付かせる」という事を行っていない現れと言える。

彼ら彼女はあなたではない。あなたの当たり前に知っている事、出来る事、する事は、彼ら彼女にとって同じではない。逆に言うと、彼ら彼女がやっている事をあなたは容易に出来たり、知っていたり、結果を出せるから、あなたはリーダーなのである。言い方を変えると、誰もが有能ではない、誰もがリーダーになれるのではない。

リーダーは部下や社員は勝手に育たない、気付かない、という認識を以て、彼ら彼女らと日々接し、一人一人の能力個性を見極め、一人一人が進化成長する方向付けをしたり、やる気を起こさせることが重要な役割の一つである。更に、一人一人は決して均一にはならないことも認識しておかねばならない。

 

 

予定は自ら立てるもの

“予定を立てても突発的に起きる事が多いので立てられない”

“お客様の都合に合わせるので、こっち都合は立たない”

“そもそも予定を立てる意味がない”

ナドナド、「出来ない理由」や「したくない理由」を反論として聞くことがしばしばある。

そういった人や会社は引いて見てみると、万事“行き当たりバッタリ”状態で、毎日何だか忙しなく過ごしていて、あたかも“頑張ってやっている感”が蔓延しているが、冷静に見ると、単に追われているか、大したことのない事に奔走している、と言った状態に陥っている。

予定を立てる事は、ある種「自分や会社を拘束する」に似た感覚を覚える。

それ故、息苦しく感じたり、何とも言えない不自由を感じるのは、ある意味必然であるが、それによって、予定を立てないままいると、結果的に何も意図する結果には至らない。

予定を立てない人や会社で「予算」を立てても達成する事は稀で、各人の意識は上位者と大きな隔たりが生じるのが常々である。

これは、「予算」という定量的結果は数字なので、目にする事(可視化する事)は容易であり、正当性と必然性を強調しやすいので、上位者は自分の仕事をしているという自覚で立てる。

しかし、部下は日常的に数字のみならず色々な事を予定を立てて動く、考えるという習慣を身に付けていなければ、予算と言うものも、その一つとしてしか捉えないので、達成しようと口では言っても具体的に行動に転化する意識も方法も持ち合わせていない。

要は、普段からしていない事は出来る訳がない、と言う事。

予定を立てるという事と人生の生きる意味や目的を持つ、という事に相通じる。逆にいうと、一週間、一か月、一年間と言う予定を立てられない、立てない人は人生の生きる意味や目的を持っている訳はないと言える。

時間は自然の法則通り勝手に過ぎていく、言い換えると“流れている”。毎日を精一杯、励んで努めているつもりでも、実は“流されている”。

人や物事は自分の意志で以て、先に目指す結果や目的目標を定め、そして足元や目先を着実に自分の意志で進まねば容易に“流される”。

予定を立てると言う事は、“流されまい”とする自分自身の意志である。立てずに日々を過ごしているという事は、“流されるがまま”であって、自分の意志ではない。なので、自分の望む場所には決して辿り着けないのである。

行き先を決めて歩き出す事

「ゴールを設定する」、「目標を立てる」、「目的をハッキリさせる」等、よく言われる言葉であるが、このタイトルもそれらと全く同じことを言っている。

どの言葉も本質的な意味は、「行き先を決めずに出発すると、単に歩いているだけになったり、ペース配分を間違えたり、必要以上に時間が掛りすぎたり、方向を見失ったり、という状態に陥るので、そうならないように」という事である。

この事で最上位の考えは「人生」である。人それぞれ、何年生きるかわからないが、死ぬ時をゴールと言うならば、その時に辿り着きたい自分の胸の内も含めての状態を出来るだけ明確に描くという事。

次に「仕事生活」。会社員であれば定年が一つの大きな目途となるので、退職日に家族や同僚から、どんな状態で見送られたいのか?それ以上に、自分自身がその当日に、どんな胸の内で居たいのか?を出来るだけ明確に描くという事。

更に、経営者であれば、会社全体や担当する部署の短中長期それぞれの到達したい、定量的・定性的結果を出来るだけ明確に描くという事。

一案件やプロジェクトと呼ばれる大きな案件の場合でも、“求める結果”を定量的にも定性的にも出来るだけ明確に描くという事。

行き先が決まっているという事は、そこに辿り着く「順路」、「時間」、「距離」、「方法」が見えてくる。「順路」や「方法」は一通りではない事が多いだろう。

そうだとすれば、その組み合わせを考えて考えて、最善を考え抜かねばならない。まして、その道中が自分一人だけではなく、仲間や部下がいるならば、その人たちの事も考えるのがリーダーであれば“当然の役割”である。

一つアドバイスするならば、出発地点から行き先を考える事のみならず、逆に、行き先から出発地に戻ってくる事も考えると良い。そうする事で、全く違った考えを思いつくこともしばしば、それにより、より道中の全体図が明確になる=質が高まる事になる。

こうやって書くと、言っている事は当たり前すぎる事とわかるのだが、果たして本当に色々な事の「行き先」は明確なのだろうか?特に、期間が長くなる事=「人生」が最も不明確であることが多く見受けられる。

行き先のわからぬまま、「走れ!」と言われて短時間・短距離は走れても続く訳もない、走らずとも歩き始めても、いつ休憩していいのか?休憩時間はどれ位取れるのか?また歩き始めるにしても、どの位の距離を歩かねばならないのか?

あなた自身がそんな状態になっていないだろうか?あなたがリーダーであれば、あなたの部下はそんな心情でいるのではないだろうか?

 

話し上手な人が気を付けるべきこと

「話す」ということは“スキル”であり、これが高いに越した事は無い。

しかし、気を付けなければならないのは「長所と短所は表裏一体」という事。

「話す」に長けている事が、時に必要以上の事を言ったり、相手に誤解を与えたりする事になる。

そんな中、最も意識すべきことは、自分が「話す」事で、相手の「話す」機会を無くしたり、話そうと言う意欲を削いでいる事になっていないか?という事。

自分が出来る事や当たり前のことは他人も同様では決してない。だから、自分が自然と話せる事は他人も同様であると誤解してはならない。

「話す」スキルの低い人にとっては苦手の悪循環で「話す」機会喪失している事は多々ある、しかし、その人が言いたいことは“口下手”であるというだけで、聞くに足りない、資格ナシ、と切り捨てるのは大きな誤りである。

公平且つ平等な関係や組織を作りたい、作っている言うならば、「話す」というスキルが自他共に低いと認める人がいるならば、意識的にその人の発言を引き出す機会と発言意図や本意を汲み取るように努めるのが自然である。

逆に平たく言うと、口達者な人が上位を占める組織は必ず行き詰まる。得てして、口達者は言行不一致である事が多いので・・・。但し、口達者でありながら、行動が伴っているのであれば、決してそうとはならないが。

常に確認して欲しい。自分が話す事で相手の話を抑え込んではいないだろうか?相手の話を聞き出そうとしているだろうか?相手が話下手だからイライラするので平静ではない自分になっていないだろうか?と。

真に優れた「話し上手」は相手を圧倒・罵倒するのではなく、簡潔明瞭且つ的確に相手に話が出来るという事であって、更に、自分から一方的ではなく、如何なる相手からも「話を聞き出せる・引き出せるのが上手」=「聞き出し上手」であるという事である。

 

 

三角関係によるコミュニケーションのススメ

“えっ!?”と思うタイトルだが、決して男女関係の話ではない。

社会生活に於いて、上司と部下、営業担当者とお客様、自分と同僚や友人ナドナド、様々な人間関係があり、次に「上下関係」、「利害関係」、「夫婦関係」ナドに枝分かれする。

人間関係は社会生活を営む以上、避けて通れないものであり、時に悩みや悲しみを生じ、時に喜びや楽しみも生じるもので、厄介でもあり有用でもある。

特に、悩みや悲しみが生じる事を、避けたり減らしたりすることが出来るのであれば誰もがそう願うであろう。

その方法として「三角関係」をオススメしたい。

人間関係は1:1が基本であるので、1:1の関係に於いて生じる先述の事象が、その殆ど多くである。だからこそ、1:1にならない状態を作り出すという事が、それを避けたり減らしたりする事になる。違う言い方をすれば、誰かを“巻き込む”というという事である。

“巻き込む人”は当事者にとって第三者であり、求められる事は「客観的な認識・判断が出来、更に一定程度、当事者双方の立場を把握している人」である。

こう書くと難しく聞こえるが、平たく言うと、上司と部下の場合であれば上司と同格の人か、それ以上の役職の人。営業担当者とお客様の場合であれば、お客様を紹介してくれた人。自分と同僚の場合であれば、双方が慕う同僚となる。

こういった第三者の存在を否定的に「そんな人いる?」と考えるのであれば、1:1の関係を悩み続けるほかない。人間関係の悩みが生じたときに慌てて対処しようとしても即効薬などないという事を肝に銘じておき、だからこそ、常日頃から“巻き込む”第三者を探すことを意識して欲しい。

この三角関係は何もネガティブな場合に限った方法ではない、相手を褒めたり、喜ばせたりするポジティブな場合でも有効である。

スキルよりナレッジを習得すべき

先ず、“スキル”も“ナレッジ”も人の能力である。

巷では“スキル”と言う言葉が多用されている。敢えて言うなら乱用されているように思う。特に仕事に関する話には、やたらと“スキル”という言葉が使われがちである。

“スキル”とは「技術や技能」がその語彙である。言い換えると「動作」であって「目に見える」。

パソコンソフトであるエクセルやワードを操作するスキル、スマホやタブレットを操作するスキル、フォークリフトやユンボ(パワーショベル)を操作するスキル、といった用い方がわかりやすいかと思う。

先述通り、“スキル”は「技術や技能」なので、よって、初めは誰だって、どんな事だって不慣れだから下手で上手くいかない。しかし、繰り返す事によって熟練され、その能力が高まってくるものである。逆にいうと、繰り返さなければ高まる事は無いと言える。

“ナレッジ”とは「知識や知見」がその語彙であるが、私はこれに「情報」も加えて語彙と説明する。こちらは“スキル”と違って「目に見えない」。

 

“スキル”と“ナレッジ”の関係は“スキル”が「線」で“ナレッジ”が「点」とするとわかりやすい。

「点」が3つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は三角形「1つ」である、「点」が4つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は四角形や三角形など、少なくても「4つ」である。

共に、出来た図形を「業務対応能力」や「コミュニケーション能力」とすると、「点」が多い方が出来る図形の数が多いので、能力が高いと言える。

要は、“スキル”は“ナレッジ”によって活かされるものである。だから、“スキル”よりも“ナレッジ”を習得すべき、と言うのである。

もう少し説明すると、“スキル”は「線」なので、この説明で言うと“スキルが高い”は「線が太い」となる。よって、「線」がどれ程太くても、「点」が少なければ、シッカリとした三角形は出来ても、数は1つでしかない。この状態を平たく言うと、単なる「おしゃべり上手」である。

おしゃべり上手のセールスパーソンは一見するとデキる奴に見えても、話し込んで行けば無知が露呈すると逆に反感を買ったり、痛々しいものである。

“スキル”は「高く」、“ナレッジ”は「多く」である。

“スキル”は繰り返し繰り返し、何度も何度も「動作にする」事で高くなる。“ナレッジ”は先ず出来るだけ幅広く自分に取り込み、そして繰り返し繰り返し、何度も何度も「話す」事で「多く」なる。“ナレッジ”を多くするには二段階のプロセスが必須である。

私が知る限り、所謂、会社勤めをしているビジネスパーソンに於いて欠落しているのは“スキル”ではなく、“ナレッジ”と思う。何故なら、どんな業種や職務であれ特別な“スキル”は必要としていないからで、それが証拠に転職すると転職先の業種知識が無ければ最初は苦労するが、パソコンやスマホ・タブレットなどで困る事は無い。

“ナレッジ”という「点」を出来るだけ多く習得する事が、あなたの公私を豊かにしてくれます。先ずは興味関心のある事柄を深堀する事、少なくとも従事する業種の専門知識は誰よりも習得する事。

長年、その業種に従事している事で身に着く“ナレッジ”は同業他社のライバルも同等に習得しているので何ら差別化は図れない。意識的に“ナレッジ”の習得を行う事無しに個の優位性は生まれない。

是非、貪欲に「点」の習得を!

 

肩書で人を判断しない

肩書は組織に於いて、ある人の地位や身分を示す代名詞。そして、肩書は一つの「目標」であり、「動機」でもある。

しかし、中小企業に於ける肩書ほど感覚的に付与され、名実乖離しているものは無いだろう。

例えば、「全国部長検定」があったとして、大中小企業の部長と言う名の人が一堂に会すれば、その能力差は歴然と表れるものと推測する。

肩書とはそれぞれの組織に於けるものであるので、組織の人数やレベルに関係なく付与されるので、この様な事が生じる。

要は、何の統一基準もない肩書と言う呼称を以て、その人を捉える事は誤解が伴うという事。

もし、肩書を以て、その人を捉えるならば、その人が所属する組織に於いての、その人の役割や能力を示すものという程度にすればいい。

違う言い方をすると、その人の能力を把握できたなら、その時にその人の肩書を見てみれば、その組織の程度が垣間見えるという事。

あなたの組織と相手の組織の中身実態は決して同一ではない。だから、あなたの組織感覚で他の組織を捉えてはいけないし、無意味である。

社長だから部長だからナド、あなたが思う、肩書に伴う理想的な相手を描いても先述通り、何ら統一基準は存在しないので、実態が伴っている可能性は望めず、むしろ、描いたあなたが実際のギャップに違和感や戸惑い、時には怒りさえ覚えることになるだろう。

肩書ほど当てにならないものは無い。肩書ではなく、その人自体をよーく捉える事。あなたが目の当たりにしたその人の言動がその人である。

 

誰の話も素直に聞く

自分の意志を持つこと、それを主張する事は無いよりも良い。しかし、時にそれが相手を受け入れない“障壁”となってしまう事となる。「長所と短所は表裏一体」の通りである。

気を付けなければいかないのは、相手の“主張”と相手と言う“人物”を同一視してしまう事。

自分より若い人の主張は、自分より若いという事で経験や知識・情報が自分より劣るであろうという先入観を持つことにより、その若い人の主張を素直に聞けなかったり、斜めに聞いてしまう。

逆に、自分より年上で、しかも何らかの肩書を持つ人であったり、有名な人と言われると、先述の逆の先入観で妙に聞き入ってしまう。

極端な事を言うと、その人物を見ずに目を閉じて、プラス、人物の略歴などの情報も事前に聞かずに、その人の話を聞くという姿勢が良いという事。

以上の「誰の話も素直に聞く」というのは“誰の話も”という点に重きを置いた“素直”。

そしてもう一つ。「誰の話も素直に聞く」という事は、相手の話をあなたが“受け入れた”(=認めた)のではなく、あくまでも“聞き入れた”(=聞いた)ダケと言うこと。

よって、“聞き入れた”後に、相手の主張とあなたの主張の相違点や、相手の主張の矛盾点など、あなたの主張をすればいい。

相手の立場から言うならば、自分の主張を“受け入れてもらえない”の前に、全部“言わせてもらえない”、という事で、あなたに対して嫌悪感を抱くことになり感情的になってしまう。

もしかすると、相手は“受け入れてもらう”という事はダメ元と承知の上で、“言わせて欲しい”だけかもしれない。胸の内を吐き出すことでスッキリしたいだけかもしれない場合もある。全部言えた事で満足感や充実感を得てしまうかもしれない。

以上の「誰の話も素直に聞く」というのは“聞く”という点に重きを置いた“素直”。

繰り返すが、常日頃、心掛けたいのは、「誰の話も素直に聞く」。もっと言うなら、「誰の話も先ずは一旦全部素直に聞き入れる」。

 

 

 

指示・依頼の際は意味・理由付けを

リーダーは人を動かすのが役割であるので、人に指示や依頼する事は多い。

指示・依頼を通じて、相手が自分が思うように動いてくれなければ、その先の結果は願う事にならないのだから、先ずは指示・依頼する内容を相手に“分かりやすく”伝える事が必要である。

“分かりやすい”は2つあって、1つは「話すスキル(=話し方)」と1つは「意味・理由付け」する、という事。

例えば「明日までにこの書類を仕上げて欲しい」という依頼をしたとする。

前者の「話すスキル」を以て“分かりやすく”伝えるというのは、「明日〇時から役員会があるので、この書類を〇部、A4片面出力でホチキス1か所止めして、私の机に置いておいてくれ」となる。

要は、出来るだけ「詳細」に「具体的」に話すという事。

後者の「意味・理由付け」を以て“分かりやすく”伝えるというのは、「俺から〇〇役員に以前から、この案件を議題として取り上げて欲しいとお願いしていたところ、ようやく明日の役員会で協議してもらえるという事になったので」となる。

要は、明日までに仕上げて欲しい「何故(=意味・理由)」を話すという事。

リーダーからすると、「気を効かせてくれよ!」、「言われたことダケで終わるなよ!」、「もっと聞いて(質問して)来いよ!」等々、部下に対して期待や要求をする事を、リーダー自身が先に自分からキチンと伝えるという事である。

逆にいうと、「明日までにこの書類を仕上げて欲しい」という端的な依頼に対して、部下が色々と深堀して質問してきたら、その部下は優秀と言える。が、しかし、それは期待薄で他力本願なので望まないべきである。

こう伝える事で、書類精度を上げたり、二重手間やリーダー自身の苛立ちも未然に防止することになり、依頼を受けた相手も責任感が高まり、意欲的に取り組んでくれる期待が持てる。

平たく言うと、リーダーは面倒くさがらずに、依頼・指示する時は丁寧に意味・理由付けしつつ、詳細・具体的に伝えるという事を常日頃、心掛けておかねばならないという事。

 

“話し”上手よりも“話させる”上手が一流

「話す」はスキルの一つで、これが高いに越したことはない。営業と言う職種やリーダーと言う役職に就いている人は相手を説得したり、物事を説明したりするので特に要求される。

このスキルは誰もが高い訳ではなく、多少で言うと少数の人なので、一見すると“話し上手”は“デキる人”と錯誤しがちである。逆に“話し上手ではない人”は、“デキない人”と思われがちである。

そして、“話し上手”には2種類あり、話す内容の質が低い人と高い人がいる。

前者は単なる“おしゃべり上手”と言え、ペラペラ流暢に話すも、よくよく話を注意深く聞くと、大した話しをしておらず、感銘・共感を受ける事が少なく、右から左に聞き流しても支障ない。後者は本当の“話し上手”で、話す内容に感銘・共感を受け、所謂、話に引き込まれる。

この様に、“話す内容の質が高い話し上手”であるに越したことはない。しかし、それ以上に“話させる上手”であることが本当のデキる営業・リーダーである。

そもそも端的にそれぞれの役割を言えば、営業の役割は、お客様に「買ってもらう」という結果を出す事、リーダーの役割は部下に「動いてもらう」という結果を出す事で、両方とも「相手にこちらが望む結果に至るよう、自らの意思を決定させる」という事なので、話している本人がどれだけ流暢に質の高い話しをしても、相手がこちらが望む結果に至らなければ無意味である。

要は、話す事で相手を説得している、と言える状態であるので、相手が“納得すれば”いいのである。

では、相手が“納得する”という結果に至るには、「人から話を聞かされて」と「自分が(で)話して」のどちらの方法が、より深く“納得する”だろうか?自分に置き換えて一考いただきたい。

答えは自ずと後者の「自分が(で)話して」となる。

よって、あなたは相手がどんどん話す、話したくなるように、「質問上手」、「相槌上手」になる事(ノリやおべんちゃらで「ヨイショ上手」ではないので誤解無く)が求められ、それが“話させる上手”になるという事

「話し上手よりも聞き上手」という言葉を耳にしたことがるだろう、それもこの事を指しており、言い換えれば、「話し上手よりも“聞き出し”上手」となる。

いずれにせよ、あなたが話すよりも相手に“話させる”。このスキルが高い事こそが、一流の営業でありリーダーと言える。